自分の身近に知的障害の人がいて、その人は太陽のように明るく、子供たちはみなその人が大好きで毎日遊んでもらって笑い転げていた。
中学時代、クラスに知的障害の子がいた。
親がどうしても普通学級に行かせたいからといって養護学級ではなく、普通学級にいた。
先生は何一つその子の面倒をみていなかった。なにせ当時は一学級45人もいたかし、悪ガキどもも暴れまくっていたけど、もう叱りもしないで、授業中も騒いでいたのでそれどころではなかったのだろう。というか、面倒なことはしない先生だった。
クラス委員だったこともあったけど、その知的障害者の大好きな人のことが頭にあったので、色々とフォローしてしていた。
普通学級で課題とされることで、知的障害を持つ人には明らかに不可能なことも課題になるわけで
例えばリコーダーで合奏すること。
その子にとっては、ドレミがリコーダーでどれかわからない、楽譜よめない、覚えられないから暗譜もできないで、出来ない尽くしで
それで友達と合奏することが課題だったことがあって、それで一緒にやろうとしたけど、どれだけ教えてもその子が演奏するのは不可能で
今考えると、それを教えるのは音楽の先生のはずなんだけど、教わっているから当然普通の子はできるけど、その子はできない
障害のある人に普通学級の課題はとても不可能だし、それを子供が教えることも不可能なことが多々ある。
それをわかっていても、音楽の先生はその演奏で成績を付けるから、一緒に合奏した自分も演奏できないんだとみなされて音楽の成績も悪くなって
その子は普通人として就職したけど、やはり周りは大変で、教えることが非常に困難だったから仕事もつづかなかったんじゃないかと思う。
自分は自分でその子を庇ったからというのも理由にされて高校にいってから虐めをされ、何十年にもわたって心の傷が治らず
養護学級にいっていたら先生から手厚いフォローもあっただろうに、普通学級に入れたいと言う親のエゴから周りに被害をもたらしていて
その子を無視してほっておけばよかったのだろうか?
子供が一人で障害者のケアをするのは不可能だと今はわかるけど、身近に障害者を見ていたから、ほうっておけないから、色々フォローしたけど
障害者を庇うことで虐めを受けるのは理不尽で、そんな虐めをするほうが悪いと理屈ではわかっているけど、なかなか立ち直れなくて、人生何十年か損したかもって
確かに、その子は周りにとっては課題もできず足を引っ張る存在だった。
その子は養護学級に行っていたら、手厚いケアが受けられたのに、普通学級にいたがために、ビクビクしていたし、色々と周りにも迷惑がかかっていた。クラスメートはその子がいるのを嫌がっていた。
私もクラス委員だからって、子供が障害者のフォローを一人でするのは無理だった。今考えると、子供が一人で障害者のケアをして、普通学級の課題が出来るようにフォローするなんて、不可能なことで、一人の子供がしたら、その子は潰れてしまう。
そして「迷惑な」人間を庇ったからと言われて後々虐められるという過酷な「制裁」・・・・
私自身は虐めという二次被害で何十年も心の傷が癒えなかった。
どうすれば良かったのだろうか?
先生、きちんとその子の世話をしてくださいと訴えることなど子供には考えもつかなかったし
自分自身のために、自分が登校拒否にでもなればよかったのだろうか?
知的障害者が身近にいたからということもあって、ほってはおけなかったけど、自分自身が自殺しようとするほど虐めにあうようなことは間違っているけど、これが現実かも
養護学級の手厚いケアを拒否して、親は普通学級を卒業させたくて、その子にも大変な毎日を送らせ、先生は面倒をみない、大人のエゴで子供だけに負担がかかるってなんだったんだろう?
太陽のように明るい身近な知的障害者の人は大好きだけど、その人の顔を見ても傷は癒えなかったし
何十年もたって、今だに悶々としています。