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武蔵御嶽神社

武蔵御嶽神社は以前一度いったことがあります。 修験道の山で、狼さんが御眷属のところです。 (武蔵御嶽神社の部分を独立させて記事にしました。) こんな雰囲気です。

行ったときは何年か前で、まだこのブログを書いていない頃で、あまり写真を撮ってませんので、ごめんなさい

 

武蔵御嶽神社

 

写真のキャプチャを見ると2012年に行ったようです。肝心の櫛真智命の社殿は撮ってません。 武蔵御嶽神社 主祭神:櫛真智命 相殿・大己貴命・少彦名命・廣國押武金日命(安閑天皇) 奥宮・日本武尊 御眷族大口真神

太占(ふとまに) 牡鹿(おじか)の肩甲骨を波波迦(ははか)(カニワザクラ、カバザクラ、カンバなど上溝桜(うわみずざくら)の古名)の樹皮を炭火にしたもので焼き、その町形( まちがた、骨の表面の割れ目の模様))によって占う(『古事記』天岩屋戸段)。鹿の骨を用いることから鹿占(しかうら)とも称される。「ふと」は美称 現在でも東京都の武蔵御嶽神社、群馬県の貫前神社で行われている。ウィキより

  狼さんがぴかんと 狼さんばかり撮ってました・・。

 

こちらが大口真神のお社のようです。あまり覚えてません・・・

http://www.y-tohara.com/nara-kaguyama 天香山坐櫛眞命神社(元名大麻等乃知神) 古事記(天岩屋戸段)    (アマテラスが天岩屋戸に籠もったとき)天香山の雄鹿の肩骨を抜き取り、天香山の波波迦(ハハカ)の樹皮を以て鹿の骨を灼いて占い、神意を伺わせ、また、天香山の枝葉の繁った榊を根ごと掘り起こして来て、云々(大意) 書紀(天岩屋戸段)    アメノコヤネ命とフトタマ命が、天香山の榊を掘りとり、枝に珠や鏡・幣帛などを掛けて、皆で祈祷した。・・・またアメノウズメ命が、天香山の榊を髪飾りとして・・・神懸かりとなったように喋り踊った(大意) 書紀(神武即位前紀)    多くの敵に大和への道を阻まれた神武が、天神(アマツカミ)の夢告によって、ひそかに椎根津彦(シイネツヒコ)・弟猾(オトウカシ)を遣わして天香山の社の土(埴土)を取ってこさせ、その土で多くの平瓮(ヒラカ・祭祀用土器)を作り天神地祇を祀ることで、賊を平定することができた(大意) 書紀(崇神紀10年条)    反乱を企てた武埴安彦の妻・吾田媛(アタヒメ)がこっそりやってきて、天香山の土をとって「是は倭国の物実(モノシロ)なり」と助言して帰った(大意) 式内・天香山坐櫛眞神社は天香久山北麓にある天香山神社とするのが一般だが、山頂にある国常立神社との説もある。 「麻知(マチ)--鹿卜や亀卜で、鹿の肩胛骨や亀甲の裏に縦横の線を彫っておくのを麻知形(マチガタ)といい、これを火で灼いて現れた兆を麻知(マチ)という。即ち前兆・予兆

 

櫛真智命が渡しの神とされるのは、「衝き立つクナトの神」と同一視されていたからでしょうか? 

こちらの神社は本当は山を拝む遥拝所だったとか。 天児屋根命と天香語山がでてきました。

とこのあたりも伏せんにして、まだまだ続きます。    こちらもどうぞ 丹生川上神社 中社参拝 三日女神は天津甕姫か? 三日比売は丹生都姫  豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった

 

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武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫と天下春命に変えられた アラハバキ丹生都姫と 櫛眞智命だった 御嶽神社

今日、武蔵の二つの小野神社と御嶽神社にお参りしてきました。

こんにちはななです。 小野神社の赤い社殿を見て、ここは丹生都姫を祀っていたのではないかと感じました。

社の杜が次々に伐採されている最中のようでした。鎮守の森は氏子さんたちのものですので、部外者はとやかく申し上げることはできませんが、明るく風通しは良くなっても少し寂しい気が致しました。

 

神奈川県の小野神社の祭神は元はアラハバキと春日明神

神奈川の小野神社(神奈川県厚木市)の祭神は元はアラハバキと春日明神です。 おのじんじゃむさし

説明板を見ると天下春命や瀬織津姫になっていますが、この社殿はどう見ても朱の女神、丹生都姫のイメージです。

おの小野神社瀬織津姫

社殿は流造りで水神で、この丹色とあわせると、と朱の女神丹生都姫を表現していると思いました。 おのじんじゃ社殿png 調べてみたら、やはり丹生都姫のようです。

 

丹生都姫からミズハノメ・瀬織津姫に変えられた

http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/tan/tan-11.htm 紀国に丹生神社を祭る「丹生祝氏系図《系図に、丹生祝氏から別れた秩父 丹治氏の系図が載せられていることによる。 多治比氏は武蔵国に縁が深い。「丹治系図《が丹治氏の祖とする武蔵守多治比 広足の兄の県守も養老三年(719)に武蔵守になっている。広足自身は武蔵守のあと、京へ戻って刑部卿や兵部卿を務めたが、裏では 藤原仲麻呂の専横に対抗する橘奈良麻呂派に属していた。東大寺大仏の建立最 中である。奈良麻呂は大仏建立推進派であり、仲麻呂はそれを冷ややかに見て いた。大仏建立のために「続日本紀《には陸奥国から産金の事はあっても、それを鍍 金する水銀の記事はない。ここに秩父が再び産銅ばかりでく、水銀の元になる丹生の産地として問題にな る。秩父の丹党、丹治氏こそ、その担い手だったのである 松田壽男は大和の丹生地帯を現地調査した結果、ニウズヒメがミズ ハノメからオカミに換えられた変遷過程を見出し、秩父でも同じ変化が見られる と指摘している。丹生の採取が尽きて、耕地化するにしたがって祭神もまた取替 えられたのである。 秩父の丹生銀座の丹生津姫は、丹生の採取が終わってミズハノメの水の神に取替 えられたことは既に触れた。秩父の水の神もまた天下春命と共に勧請されたので はないか。そこで、はしなくも水の神は瀬織津姫と呼ばれたのだ。

丹生川上神社も鉱業の丹生都姫から農業の水の女神に祭神がうつっています。

小野氏のことは、もしかしたら、橘奈良麿の変の後、橘奈良麿派であった丹治氏への嫌がらせの意味もあるのかもしれません。

銅や丹の丹治氏のアラハバキや丹生都姫を祀らせないように圧力があったのかもしれません。

それで農業用の水の女神の瀬織津姫に祭神がかえられてしまったのかもしれません。  

ちなみに、多治比氏については

聖神社(ひじりじんじゃ)は、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する神社 慶雲5年(708年)に自然銅が発見され、和銅改元と和同開珎鋳造の契機となった神社とされる 第43代元明天皇の時代に武蔵国秩父郡から日本で初めて高純度の自然銅(ニギアカガネ、和銅)が産出し、慶雲5年正月11日に郡司を通じて朝廷に献上、喜んだ天皇は同日「和銅」と改元し、多治比真人三宅麻呂を鋳銭司に任命して和同開珎を鋳造させた、その発見地は当神社周辺であると伝える。ウィキより

やはり銅など鉱物関係の祭神であったと考えるほうが自然なようです。

とすると丹生都姫・アラハバキあたりでしょう

 

春日大社は藤原氏が春日氏の土地を奪って建立

  藤原氏が橘奈良麿の変の後、小野氏と同族の春日氏を春日の地から追い出し、春日大社を建立したことと関係するかもしれません。

不比等の腹心の春日氏と同族の栗田真人が、春日氏に藤原氏に土地を譲るよう説得したらしいのですが、土地を奪われた怒りは収まらなかったようです。

この辺りの事情は 春日神社サイトをどうぞ

春日神社サイトhttp://kasuga-kainan2.com/blog5/bct/492134 和銅三(七一〇)年、不比等が鹿島の神タケミカヅチを奈良の春日山麓に遷して藤原氏の氏神とし、地名を採って春日大社と称します。 その後、神域を広めるために聖武天皇の詔勅をかざし、先住者の春日明神を春日山麓から紀州大野荘へ遷させたのです。 (中略) 例えば井ノ口という地名は、橘姓井口氏が移り住んだ地域を和佐井ノ口、貴志井ノ口と呼び、それが地名になったものです。 南 都から大野荘へ移住してきた春日氏が、当地の三上山を春日山と呼んだのは、明らかに②に当ります。 春日氏が姓を大春日氏に改称し、神号を大春日明神と改め たのは、権勢盛んな藤原氏の氏神春日大社を意識したと推察されますが、それもいっとき一時のことで、やがて旧の春日神社に戻ってしまったようです。 粟 田一族の出世頭は文武朝の中納言で、藤原不比等(六五九~七二〇)の右腕として知られる粟田真人朝臣(?~七一九)です。留学僧として唐で学び、帰朝した 後に再び遣唐使として渡唐しました。 粟田真人が紀州日高郡の海女から探してきた美女を不比等が養女とし、文武天皇夫人藤原宮子となって七〇一年に聖武天皇 を産みます。 宮子姫は髪長姫伝説のヒロインです。 不比等の意を受けた粟田真人から説得されて渋々承知した春日氏は、一族の十人が春日明神を奉じて 替地の紀州大野荘に移りますが、同族の仲介とはいえ、氏神の土地を奪われてはハラが治まらず、姓を大春日臣と改称し、一時は春日明神に「大」を冠して春日 大社を見下すことで、秘かに快哉を叫んだのでしょう。

奈良の藤原氏の春日大社での天児屋根と比売神の地位が低いのは、先祖としてではなく、地主神として、祀られているからかもしれません。  

鹿島の神に限らず、氏神はその氏族の祖でしたから、子孫以外は移せないし、その時代は子孫以外が祀ると祟るはずなのです。

鹿島神宮のことにしても、鎌足が鹿島神宮の婿になっており、藤原氏は橘氏とも婚姻関係で、縣犬飼氏ともずっと通婚して、姻戚関係ですから、現在は「子孫」には違いないのですが。

まだそのへんの事情は整理していないのですが・・おいおいと

 

武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫ではなく櫛眞智命

http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/tan/tan-11.htm 武蔵総社をめぐって古来から上思議な言い伝えがある。武蔵総社が祭られる以前、 そこに別の神社が祭られてあり、武蔵総社に乗っ取られたというのである。 そし て何時の日か、村民によって祭り直されたのが、多摩川対岸にある式内社の一つ、 大麻止乃豆乃天神社であるという。 その祭神は櫛眞智命神という多摩川の渡しの 神とされ、水の神に縁がないわけではない。 おそらくこの神が横山党の小野氏の前身が祭ったものである。それが近江小野氏 が武蔵に来て、横山党の前身の女に子をもうけ、一族は小野氏を吊乗り、先祖の 系譜も父系の近江小野氏に繋げた。 そして秩父から勧請した瀬織津姫と天下春命 を小野神社として祭ったのだ。その結果、彼ら自身の先祖の系譜は捨てられ、櫛 眞智命を祭る大麻止乃豆乃天神社も破棄されてしまったのである。

小野神社にのぼりが立っていたのですが、こういう絵柄ののぼりなんです。

写真撮ってこればよかったです。

まと

どうして的なんだろうと思いましたが、大麻止乃豆乃天神社だからではないかと

当たる(矢が的中してる)も八卦当たらぬも八卦でもないでしょうが、櫛 眞智命は「ふとまに」の神様だからでしょうか? (下記参照)

こちらの神社は不立文字でヒントで色々語っておられるような。

豆乃・角は・・・鬼の角でしょう。

随身門にたくさんいるじゃないですか。随身門、こちらは随分と気合いが籠ってます。

鬼の系譜が祀る鬼の、というと天河弁財天の弁天さんももとは丹生都姫です。

おのじんじゃ随身門鬼 おのじんじゃ随身門鬼2

そして、については、恐らくは「ささげ豆」のことも暗示しているでしょう。

細長くて、矢と似ています。

過去記事に書きましたが(現在整理中)、尾張地方近辺で地産地消されている「ささげ」、これは諏訪の小野神社の御鉾さまのさなぎ鈴の舌が「ささげ豆」そっくりなんです。

これは、長野の小野神社にも一度行かねばなりません。  

随身門の門客神はアラハバキだとも言われています。

とても立派な門です。 古い神を祭神として出してはいませんが、社殿といい、随身門といい、形を変えてアラハバキや丹生都姫が存在しています。

社殿よりこちらのほうが力入っている気がいたします。 おのじんじゃ随身門 おのじんじゃ随身右 おのじんじゃ随身左おのじんじゃ随身門彫刻 おのじんじゃ随身由来

郷社の小野神社

郷社のもう一つの小野神社は、丹生川上神社の上社に雰囲気が似ていました。

丹生川上神社も元の祭神は丹生都姫で、律令国家となってのち、農業用の水の神、みずはのめに取って代わられました。三日比売は丹生都姫  豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった  おのじんじゃごうしゃしゃでん

武蔵小野神社の元々の祭神と言われる 櫛眞智命で、「眞智・まち」を以前に調べたことを思い出しました。

武蔵七党の横山党はこの兄多毛比命の末か、とする人もいます。その人に云わせると、兄多毛比命の名は多摩の男という意味だそうです。

大麻止乃豆乃天神社まではいけませんでした。

他にも櫛眞智命を祀った神社が近くにないかと見てみました。

ありました。郷社の小野神社近くの御嶽神社です。 うたき看板

もう一つの式内社の小野神社の近くに御嶽神社がありました。

黒猫さんにお出迎えされました。。  

小野神社近くの御嶽神社の看板に武蔵御嶽神社から勧請されたと書いてありました。

武蔵御嶽神社 参照

うたき神社 うたき神社ゆらい

武蔵一宮の小野神社の付近は瀬織津姫ではなく櫛真智命を祀った所が多い

この辺は櫛真智命を祀った所が多いようです。

武蔵御嶽神社

主祭神:櫛真智命

相殿・大己貴命・少彦名命・廣國押武金日命(安閑天皇)

奥宮・日本武尊 御眷族大口真神  

あ、武蔵御嶽神社は以前一度いったことがあります。 修験道の山で、狼さんが御眷属のところです。 こちらですね。

狼さんがぴかんと 前に行ったことがあります。 

121125_1542

最初は 櫛真智の「まち」は「まつち・真槌」の略だろうとおもいました。

奇し麻槌ともとれます。  

それとも、鹿の骨などを焼く「まぢ」もの、占いのほうでしょうか?

櫛真智は「不思議な占い」でしょうか?

太占(ふとまに) 牡鹿(おじか)の肩甲骨を波波迦(ははか)(カニワザクラ、カバザクラ、カンバなど上溝桜(うわみずざくら)の古名)の樹皮を炭火にしたもので焼き、その町形( まちがた、骨の表面の割れ目の模様))によって占う(『古事記』天岩屋戸段)。鹿の骨を用いることから鹿占(しかうら)とも称される。「ふと」は美称 現在でも東京都の武蔵御嶽神社、群馬県の貫前神社で行われている。ウィキより

ピンポンのようです。

http://www.y-tohara.com/nara-kaguyama.html

天香山坐櫛眞命神社(元名大麻等乃知神) 古事記(天岩屋戸段)    

(アマテラスが天岩屋戸に籠もったとき)天香山の雄鹿の肩骨を抜き取り、天香山の波波迦(ハハカ)の樹皮を以て鹿の骨を灼いて占い、神意を伺わせ、また、天香山の枝葉の繁った榊を根ごと掘り起こして来て、云々(大意) 書紀(天岩屋戸段)    アメノコヤネ命とフトタマ命が、天香山の榊を掘りとり、枝に珠や鏡・幣帛などを掛けて、皆で祈祷した。・・・またアメノウズメ命が、天香山の榊を髪飾りとして・・・神懸かりとなったように喋り踊った(大意) 書紀(神武即位前紀)    多くの敵に大和への道を阻まれた神武が、天神(アマツカミ)の夢告によって、ひそかに椎根津彦(シイネツヒコ)・弟猾(オトウカシ)を遣わして天香山の社の土(埴土)を取ってこさせ、その土で多くの平瓮(ヒラカ・祭祀用土器)を作り天神地祇を祀ることで、賊を平定することができた(大意) 書紀(崇神紀10年条)    反乱を企てた武埴安彦の妻・吾田媛(アタヒメ)がこっそりやってきて、天香山の土をとって「是は倭国の物実(モノシロ)なり」と助言して帰った(大意)

式内・天香山坐櫛眞神社は天香久山北麓にある天香山神社とするのが一般だが、山頂にある国常立神社との説もある。

「麻知(マチ)--鹿卜や亀卜で、鹿の肩胛骨や亀甲の裏に縦横の線を彫っておくのを麻知形(マチガタ)といい、これを火で灼いて現れた兆を麻知(マチ)という。即ち前兆・予兆

  天香語山がでてきます。 もうひとつの「まち」はどこかで出てきました。

ウマシ「まぢ」の記事ででてきました  

「麻遅」はなんだろうと思って、探したら 麻遅=摩乳=摩槌のようです 脚摩乳(あしなつち)、手摩乳(てなつち)「日本書紀」、「先代舊事本紀」 地祇本紀 足摩槌命(あしなつちのみこと)手摩槌命(てなつちのみこと)(ささふく神社) 「古事記」など他は手名椎(てなつち)足名椎(あしなつち)の表記が多いです。 麻遅=摩乳=摩槌は 「~の「つち」」=「~の」の意味ではないでしょうか? 歓喜天(聖天)や十一面観音を祀る、待乳山聖天(まつちやましょうでん)は、実は つちの=蛇の=聖天さんの、という意味ではないでしょうか。 誰もそんなことは書いてませんが・・・ 聖天さんの形はリンガ、アラハバキやクナト、地蔵と同じです。 最初はリンガは蛇でした。 過去記事より (注)ただ今整理中です

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櫛真智命が渡しの神とされるのは、「衝き立つクナトの神」と同一視されていたからでしょうか?

とこのあたりも伏せんにして、まだまだ続きます。 武蔵御嶽神社 大口真神  

こちらもどうぞ

小野神社(神奈川県厚木市) 武蔵御嶽神社 丹生川上神社 中社参拝 三日女神は天津甕姫か?

三日比売は丹生都姫  豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった 

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丹生川上神社は大和にあった 三日比売は丹生都姫 豊雲野大神は・・

丹生川上神社は

神武天皇が長随彦と戦うに当り、高倉山にて夢訓を得て、椎根津彦等に命じて天香山の土を取ってこらし、丹生川上に於て神祇を敬祭せらしめた場所です(丹生川上神社サイト参照)」

神武天皇がここで呪術を行った理由は、丹生川上社の元宮が大和神社(旧称は朝和之宮(あさわのみや)で、大国御魂神を祀った社だったからです

神武が天香山の土を取ってこさせたことからもわかりますが、この時の丹生都姫達の本拠地は大和だったようです

四国にも同じ名前の天香山があるのは、四国・大和も海神族が移動して開拓したからではないでしょうか?  

 

丹生川上神社は大和にあった

天香語山の土を持ってくるのは呪術で、日本大国魂大神の神奈備であった天香語山の土と、そのペアであった丹生都姫の丹を用いたものであったと思うのです。酒や水あめということになっていますが、術としては条件が合わない気がします。

 すいぎん

水銀 写真はウィキより 

大和神社(おおやまと)のサイトより 日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている。(2000余年前) 大和神社のサイトより 天理市新泉町星山  祭神  中殿 日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ(大地主大神  左殿 八千矛神  右殿 御歳神

たちばな小

神紋 橘
摂社 増御子神社「猿田彦命、天鈿女命」  摂社 朝日神社「朝日豊明姫」  摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする。  摂社 渟名城入姫神社「渟名城入姫神社」 摂社 雅宮神社(まさみや)「天押雲根神」 

日本の地主さんが「日本大国魂大神」で、丹生都姫の丹生川上神社の元宮でした。

日本大国魂大神が「天香語山」に祀られていたからこそ、「神武天皇が高倉山にて夢訓を得て、椎根津彦等に命じて天香山の土を取ってこらし、丹生川上に於て神祇を敬祭せらしめた」のでしょう。

 

錦の御旗は丹敷の御旗

錦は「二色以上の色糸で柄を織り出した生地を錦」と呼ぶそうです。 様々な美しい錦はこちら http://kariginu.jp/sozai/sozai1-24.htm   丹生川上神社中社のお守りに、水晶玉を三つ重ねたものがあり、五匹の鮎と背景は普通に想像する朱色の「丹敷」色でした。これよりもう少しお守りは赤っぽかったです。

にしき赤地桐竹唐草錦karakusa-kiritakeaka

赤地桐竹唐草錦 http://kariginu.jp/sozai/sozai1-24.htm より  

水銀丹の丹敷、丹敷戸畔の「丹」、丹生氏の「丹」の色のことでしょう。

背景に「丹」を使っているから「丹しき」

ヨードチンキのあの赤は水銀の赤

錦は「金の布帛」  

たまたまテレビでみた錦の御旗は朱色というより、黄金色でした。金箔も水銀に溶かして、水銀を蒸発させて金箔をはることもあります。

奈良の大仏はそういう手法で金箔が貼られました。 なので、黄金の金色から水銀の朱色までが「丹敷・錦」の御旗の色なのでしょう。 くがにふくふるた・・・金精明神の丹生都姫の「丹敷・錦」

三日女神は甕・三箇姫・丹生都姫・ふるた大明神

三日女神は水銀の炉の「甕」みか・三日・三箇女神でしょう。 簡易な携帯用の炉を持って山に入るのを「三日たたら」といったそうです。 (「天河への招待」大山源吾著 による)  

はそう

hasou01.jpgはそう

丹を焼いていた甕です。水銀の井戸を風炉というそうです。

三日は風炉=甕のことかもしれません。 以前はを磨くのに水銀を使っていました。

にうかわかみ中社かがみ

 

太陽・日が「三箇・三日」、三鏡が丹生川上神社中社にありました。

水銀の三日たたらの三日姫、ふるた(漢字にするとおそらくは風炉的あるいは仮名交じりっぽく風炉田)大明神の丹生都姫で、三日姫は丹生都姫のことでしょう。

いすず小

天河弁財天の五十鈴も三日・三鏡だと思います。

鏡は龍蛇のことですから。蔦も蛇・・・葛・国栖も蛇・・

かかみ餅6a9747d6

丹生都比売から「おかみ」への変遷

大和神社の摂社の祭神は、水銀や金などの金精明神こと丹生都姫やアラハバキ姫から、中国から輸入された(タカ)オカミ「雨師明神」に変わっていったのでしょう。

中国から「おかみ」信仰が入り、 金鉱脈を掘りつくして、資源が枯渇し、律令国家となり、農業が重視されるようになって、「おかみ」や水分の水が重視されるようになりました。

時代が降るにつれ、鉱物資源も輸入され、吉野などでは水銀採取も廃れていき、丹生都比売大神の代わりに穀物生産のための、おかみや水分信仰が盛んになりました。

そのため、祭神が丹生都比売大神であったのが、ミズハノメのような水神信仰になっていきます。

大縣神社でもアラハバキ・丹生都姫を祀っていたのが、武器なども銅から鉄製になり、銅の採掘も下火になるにつれ、水の女神の罔象女神に変わっていったのでしょう。 丹生川上神社も同様に丹生都姫から神へと変わっていきました。

「上記の事は古来から高神が祀られていたと主張するものではない。祭祀跡に同神が勧請されたのであろう。 一説には高麗神であったとも言う。それが高神に変わる。高麗神も素盞嗚尊の子孫と言えなくはない。(神奈備さんの丹生川上神社上社の記事より)

 丹生川上神社 奈良県吉野郡東吉野村小968雨師の明神、水神宗社 丹生川上神社(上社:奈良県吉野郡川上村、中社:東吉野村、下社:下市町)の祭神が、上社が高淤加美(たかおかみのかみ)、中社が罔象女神(みずはめのかみ)、下社が闇淤加美(くらおかみのかみ)です

 

水銀採集の氏族丹生氏などに半島攻略の功があったため、神宮皇后が天照大御神の妹として神領安堵しましたが 時代が下るのつれ、水銀採掘が廃れ、農業用水としての水の重要度が高まったために、祭神が丹生都姫から水の女神へと変わっていきます。

後に丹生都比売大神は弁財天女と姿を変えて信仰されます。  

 

時代とともに祭神も水と鉱物の丹生都姫から、水分(みくまり)、おかみなどに変わっていきました。

そして「比売」は鉱物資源や鉱業の神としての性格から、中国から新しく輸入された「おかみ」として農業の水の女神に変更されていきました。

 

ですので、記紀が作成された時は、瀬織津姫はメジャーではありません。

 律令制以後、農業の水の女神としてクローズアップされただけだと思います。瀬織津姫は封印されていたわけではないと思います。

むしろ大祓祝詞に読み込まれて、律令国家の農業推進のため、中臣神道がバックアップする存在だったと思います。

 

比売は丹生都姫アラハバキ姫

比売」といえば、天武朝くらいまでは丹生都姫やアラハバキ姫をさします。  丹生都姫は水の神でもありましたが、金や水銀などの鉱物資源は重要で、神武天皇も丹生都姫の鉱物資源を狙って侵入しました。

「和歌山市直川(のうがわ)にある丹生神社(にうじんじゃ)は 1192(建久3)年 紀朝臣實俊が尾張国熱田神を勧請し直川郷の総社とします。」 丹生社、総社の両神社は村中に在り一村の産神なり。 社傳に丹生明神は丹生津姫神なり。総社は尾張国熱田の神とある。 丹生神 は本国神名帳に正一位直姫神とある。 当丹生神社は高野の丹生大明神を里上山に勧請して祀りしを、天正年間に今の 地に移し祀る。里上山に丹生の段と云う舊跡がある。 総社明神は尾張の国中嶋郡真清田社祭神大巳貴命にて、当国の一の宮なり。 同神を建久二年に直川郷・紀朝臣實俊当所の領主となりたる時、勧請して直 川郷の総社とす。 古くは当社の前、東西に馬場あり、その東を的場といい、神事に走馬ありし跡 なり。 その祭禮に桃弓棘矢にて武者試馬流鏑馬に悪気を射し所、後世的場と云う字遺 称あり。 旧直川は東西両村に別れ、丹生社は東に祭る神なり。天正年間に総社境内に移 し、それより両社を同所に祀る。一村の産神と祭祀する。」 丹生神社(にう)http://kamnavi.jp/ny/musonew.htmより

直姫神がにうがなまったものなら、直姫は埴(土)姫神で、鉱物の神ということでしょうか?

直姫は井光姫の子孫らしいのです。 そして、丹生都姫と同じ意味の名前の埴(土)姫神の埴山姫のだんなさんがカグツチだったようです。  

 

埴山姫の夫が天香具山で二人でカグツチ

先代旧事本紀ではカグツチは火之産霊迦具突智、火産霊神と言われています。 土神 (埴山姫)との子がいます。ワクムスビです。 カグツチは生きて、結婚して子供がいたのです。   稚産霊神がその火の産霊の力を受け継いでいました ・天香具山の土は国常立と豊雲野の身体の一部と考えられていた (頂上に国常立と高おかみ=豊雲野神が祀ってある)
スサノオノミコトが高天原を追放されたとき、髭と手足の爪を切られたのは、身体の一部を高天原の神々が保持することで、スサノオノミコトは高天原の神々の支配下にあることになるのです。
生殺与奪の権利を高天原の神々に渡したという契約をしたことになります。 何かあったら、殺してもよいということです。
 
だからこそ神武は相手方の主祭神の鎮まる香具山の土=相手方の主祭神の身体の一部を手に入れたのです。
 
そう天香語山に祀ってある「かみ」が元々のやまとの神であるのです。
国常立とペアの姫神、豊雲野大神・・・
 

 豊雲野大神が、日本国霊

高(たかお)神社(今市市大室大山の中腹に鎮座し大山祇命・少名彦命・草野姫命を祀る)の「社伝記」によると、 「豊斟渟尊を日本国霊として祀った」ことが書いてあり、だとすると豊雲野大神が、日本国霊であったということになります。

 

ということを前置きとして、まだまだ続きます
 
どうまとめて良いのか、わからなかったので、修正しながらまとめていきます。

 

持統天皇の吉野離宮 丹生川上神社

ななです。丹生川上神社中社の続きです。

 

丹生川上神社にお参りして、その帰りに持統天皇が何度も御幸して滞在した吉野離宮の場所に少しだけ立ち寄りました。
丹生川上神社上社に行って、中社まで来るのに随分時間がかったので、早く帰りたかったのです。

離宮は中社から下ったところにあります。

この山の下あたりからずっと離宮だったそうです。思っていたより、広大な敷地です。

よしのりきゅう2

よしのりきゅう3

高見川

中社のところで、三御川・木津川・日裏川の三川が合流して高見川になります。

よしのりきゅう4

よしのりきゅう5

宮滝もあったのですが、写しそこねたようです。

よしのりきゅう6

離宮に滞在して、儀式は中社でしていたのでしょうか。

持統天皇が何をしていたか、知りたいところです。

 

三川合流の写真を頭のアイキャッチ画像にしてあります。

ヤタカラスに連れられ、神武天皇が呪術をして、国を得た場所です。

そういったことがあった場所です。

よしのりきゅう7

 

ここは大極殿があったところだそうです。

よしのりきゅう跡

川沿いの道をうねうねとくだってきたせいか、少し車酔いっぽくなりました。

最後にもう一か所だけ、運転手さんが案内してくれました。

 

つづく

<丹生川上神社の記事  こちらもどうぞ>

丹生川上神社 水底の上社

丹生川上神社中社の元宮 ひもろぎ 

丹生川上神社中社 ここは夢の淵 鮎うらゆらゆら

アラハバキ考2 より 丹生川上神社中社 夢の淵 参考資料

丹生都姫 忌杖刺し給ふ国見の出発の地 櫛眞智命神は天香語山の神

丹生川上神社 中社参拝 三日女神は天津甕姫か?

 

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丹生川上神社 中社参拝 三日女神は天津甕姫か?

ななです。さて、丹生川上神社 中社に参拝です。

本当はアイキャッチ画像をもうちょっと華やかなのにしたかったのですが、字がおおきくなるので、これにしました。

にうかわかみ中社2

上社に比べると人がいました。

 

にうかわかみ鳥居

 

昔は雨乞いのために本物の馬が奉納されました。

でもここは山の中なので、馬の餌がなく、もう少し下ったところに、馬の牧を作って、奉納された馬を飼っていたそうです。

にうかわかみ絵馬

丹生川上神社 絵馬の起源

山の中で馬を飼うのは大変なため、代わりに絵に描いた馬を奉納してくださいと朝廷に申し入れたそうです。

それが絵馬の起源だとか

東京電力と関西電力奉納 このお馬さんがお守りにデザインされてました。

 

ちなみに、御神酒の起源も神武天皇の夢の淵での祭祀に始まるのだとか
にうかわかみ看板

 

願いを叶えてくれる樹齢千年以上の杉「ねがいの杉」だそうです。

にうかわかみ願いの杉

 

蓋を開けて、柄杓(というより昔よく畑で肥を掬うのに使った巨大なアレでした・・・。田舎の人間は妙なところに気がつきます)で水を掬って飲めます。

脇にコップがずらっとかけてありますので、それでいただきました。

にうかわかみ真名井

 

ここを少しくだったところに吉野離宮がありました。かなり広大な敷地だったようです。

持統天皇が何度も行幸したのは、ここのパワーを吸収するためだとか。

にうかわかみ石版

 

これは夢の淵の双竜の滝です。

にうかわかみ中社双竜の瀧

社務所の写真にはオーブがたくさん写ってました。

お水が濁っているのは、工事中だからだそうです。

普段は澄んだお水です。

 

ああ、社殿に三つの玉(鏡のような?)がついていました。

もしかしたら、三日女神に関係があるかもしれません。

にうかわかみ中社かがみ

丹生川上神社 水底の上社

 

だから上社の古い社殿が三日女神を祀る飛鳥坐神社に移築されたのかもしれません。

 

丹生都姫 忌杖刺し給ふ国見の出発の地 櫛眞智命神は天香語山の神 でもかいたのですが、

天香語山(天児屋根)は三玉姫のだんなさんですから。

櫛まち命神が天香語山命神なら、その奥さんは三日女神ですから。

三川合流で、三に関係するかもしれません。

 

戸隠神社の九頭竜大神は天河弁財天とペアで、戸隠神社の思兼命が天香語山の命だとしたら、見事に

三日(みか)女神=(天津)甕(みか)姫と対応します。

 

天香語山は天津甕星=玖賀耳の御笠(クガミミの三笠)=香香背男 鬼(かみ)の氏族

 コヤネは司祭 天児屋根は鬼八・彦(日子)八耳 参照

玖=玉を三つ襲ねる、三襲・三笠
いすず小
これですね 正確には「玉」は縦に三つ重ねてます。
「背後」から灸を据える=火火背=かか背男です。香香背男(かがせお)。
香香背男=天津甕星=天香語山命です。
星神香香背男玖賀耳の御笠(クガミミの三笠)=天香語山命のことだったのです。
天香語山命は天児屋根(天を祀る司祭という意味らしい?)で、天津甕星なので、その奥さんか、ペアは天津甕姫です。
天津甕姫は星=晶と生(星の旧字)で、三つの日、三日女神です。
具体的に誰かはまたにして、ぴったりと符号します。

コヤネは司祭 天児屋根は鬼八・彦(日子)八耳 より

天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)は
三つの輝く星を表す名前です。いすず小

ほしstars-character

天津 三箇(甕) 星(晶と生=日が生まれる)

 

比売とペアは鬼八=弥五郎どん、いんこどんの犬飼星の彦星で、

織姫と彦星、天津甕姫と天津甕星(鷲の星)

 

やはり天児屋根(天を祀る司祭)=天香語山命は阿多隼人

天河弁財天とペアなのは犬飼氏の戸隠神社の九頭竜大神

天川村と隣接する地域は阿多隼人が多く住んでいました。

天児屋根は司祭という意味だとすると、天津甕姫も星の事かもしれませんし、もしかしたら、大国主や瀬織津姫のように職名で、何代にもわたって、何人もいるかもしれません。
それはまたおいおいと
デーヴィー三人

丹生都姫 忌杖刺し給ふ国見の出発の地 櫛眞智命神は天香語山の神?

ちょうど建国記念日ですしね。丹生川上神社中社にお参りする前に河原に降りた。

ここが神武天皇の夢の淵    なので、ここが日本建国の場所になるのでしょう。
丹生川上神社中社 ここは夢の淵 鮎うらゆらゆら
アラハバキ考2 より 丹生川上神社中社 夢の淵 参考資料  を参照してください。

 

河原で、ふっと携帯を覗き込んだらヒモが写っていた。

見たら紐ではなく光でした。

 

 レンズの屈折の加減で光がそう見えるだけかなと思っていたら、冒頭のアイキャッチ画像を見ると、光がカーブしています。
光はカーブするものでしたっけ?? レンズの加減かもしれないですけどね。
三川合流の場所はパワースポットと言われています。

タクシー運転手さんは霊能者を案内して、一緒にいると、不思議な事がおこるというけど。

運転手さんも一緒に携帯の画面を覗き込んで、肉眼では見えないけど、携帯越しには見える。こんなの見たの初めてだとおっしゃってました。
 
これを見て丹生都姫の杖かと思いました。

 

 

 

中社の宮司様は丹生都姫はここから出発したとおっしゃってました。

 

ここが丹生都姫「御杖挿し」の国かかしの旅の出発の地のようです。

 

 丹生都姫「御杖挿し」の国かかしの旅出発の地

 ちょっと長くなりますけど、過去記事の抜粋に加筆しました。

 

斬られた蛇その2・八岐大蛇  より

丹生都比賣は
丹生の地は鉄産地をも意味したそうです(「徒然なるままに、、、」さんのブログより「鉄の古語」から)。

鉱物の神は丹生都姫、朱の大神、真朱(まほそ)の姫、金精明神、フルタ大明神、弁財天などと呼ばれていた。
吉野では時代が降るにつれ、鉱物資源も輸入され、水銀採取も廃れていき、代わりに穀物生産のための、おかみや水分信仰が盛んになる。そのため、祭神が丹生都比売大神であったのが、ミズハノメのような水神信仰になっていきます。

それ以前は丹生都比売大神が信仰されていました。

アラハバキのアラも鉱物と言われています。

 

神武天皇によって殺された紀伊のニシキ戸邊も丹敷戸邊と書かれたり、丹生都比賣は丹敷戸邊のことだという説もあります。

丹生津姫を祀る神社では、丹生津姫は獅子が大嫌いで、丹生津姫が獅子に会うと雨が降るそうです。

獅子(狛犬?)トーテムの部族に攻められたからかも・・・
丹生津姫も水銀や鉱物資源を狙われました。

 

時代は下り、

神宮皇后は丹生氏の協力もあり、反乱軍に勝利した後、吉野の銀峯山山頂で、国見を行った際、丹生氏の祖霊で国津神の丹生都比売大神・朱の大神は伊弉諾伊邪那美の養女という資格で、 天津神に昇格され、天津神丹生都比売大神として、国見したまう、と神領安堵しました。

丹生大明神告文の前段には、
「丹生都比売大神の大神と大御名を表し給いて、川上の水方の峰に上りまして、国かかし給いて・・・」
とある。」(「天河への招待」大山源吾著参照)

丹生大明神告門

丹生大明神告門(ニフタイミヤウシンノノリト)
大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、
申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、
天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、 丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、
下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、
下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、・・・

「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心としてその地方を開拓されたという意味だそうです。

丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)」とあるので、ここで国かかし・国見をしたのでしょう。

「【杖】より…【岩倉 博光】
神功(じんぐう)皇后が新羅(しらぎ)の国主の門に杖をつきたてたと《古事記》にあるのは,杖が占有権を表示するものであったことを示している。このため杖は境界を限る?示(ぼうじ)としての役割を果たし,とくに俗界と聖界の境を示す場合,忌杖(いみづえ)と呼ばれている。また杖立(つえたて),杖突(つえつき)などの地名にまつわる伝説もこれと関連することが多い。… 」(以上、岩倉 博光氏「【杖】より)

しかも、国かかしに加えて、天の御蔭、日の御蔭、まで
天の御影=天の香語山の日陰葛=蘿で、丹生都比賣は太陽神でもあったのです

スサノオが八岐大蛇を切って天叢雲剣(草薙剣)が出たという神話がありますが、
天叢雲剣はたくさんの蜘蛛(鉱業の民)であり、川(水資源)であり、土地のことでしょう
八岐大蛇は以前の支配者である出雲族や崇めるクナト大神の例えなのだろうと思いました

気多大社(石川県羽咋市寺家町・能登国一の宮)の祭神は大己貴命(大国主神)であり、出雲国と越国は古来から関係が深かった。古事記には八岐大蛇は越の国から来たと書かれている。
気多大社は以前は能登の七尾にあったそうです

「海部氏勘注系図」で天香語山命は高志(越)神とも言われています

クナト大神
別名、岐(フナト)の神、幸の神、賽の神、八街(ヤチマタ)の神、道祖神、道陸神。
来名戸之祖神(くなとのさえのかみ)、衝立船戸神(つきたつふなとかみ)、久那斗神
香具山は国かがし(国見)をする山、で
天香具は『沖縄古語大辞典』は、「かがす: 輝す、 輝かす、生き生きさせる、であろう」なので、天かがし、天かかすも「天照」と同じ意味になる

かかし=案山子が出てきました。

案山子はかかし=輝かせる意味です。
そして国見をするという意味になります

 

案山子は『古事記』の「クエビコ」つまり「山田のそほど」です。

そほどもたたらと関係する名前です。

「サヒはサブ、サビ、サムとも転化し、寒川・寒田、寒河江・祖父江の地名もこれに由来する。
賽神(サイノカミ)というのも本来はサヒ(鉄)の神の意であった。
サヒ、サビ、サム、ソホ、ソブ等、この語類のサ行音は、元来砂、小石を意味する言葉で、砂鉄が精錬されて鉄となり普通の砂や石と違った貴重な性質を帯びることから、サ・シ・ソの性質を帯びることから、サ・シ・ソの一音だけでも鉄を意味することになった。」(「徒然なるままに、、、」さんのブログより「鉄の古語」から抜粋)

 

案山子神は足は行かねども
「此の神は足は行かねども、尽に天下の事を知れる神なり」と、説明しています。
「尽に天下の事を知れる神」とは、天下の事をすべて支配する神という意味です。
知る、は「花より他に知る人ぞ無き」(花の他に治める人がいない)、や知行国とかいうように、治める・支配するの意味です。

 

禹歩というのがあります。魔除けや土地の鎮めに使われます。

この元になった夏の禹という人が、足が悪く、その歩き方を模したのが禹歩と言われてます。

案山子神さまは、中国の禹の姿と同じです。
禹(う)                                                かかしかみさま

禹(う、紀元前2070年頃)は中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。名は、文命(ぶんめい)、大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は?(じ)、夏王朝創始後、氏を夏后とした。「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐、竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。(ウィキより)

 

禹=案山子神で、

かかし=そほど=サヒの神=禹

スサノオ(饒速日?)が大陸の神を信仰させようとしたが、先住民は無視したので、藁でつくった大元神をスサノオが斬りまくったという伝承が残ります。

藁で作られた大元神の元になったのはどうやら「禹」のようです。

そして「禹」は九匹の龍という意味の漢字です。九頭竜大神が禹かも
もしかしたら、夏の禹の子孫ではないかと思ったりもしてます。

 

九頭竜大神は禹?

九頭竜大神といえば、戸隠神社です。

 

天武天皇12(683)年 信濃遷都計画というのがあったそうです。

天武天皇 信濃遷都計画

天武天皇は多祁御奈刀弥神社を徳島から分社し、元々諏訪にいた戸隠神社の阿多隼人たちは戸隠に移動したそうです。「多祁御奈刀弥神」が諏訪大社となり、手力男命の犬飼氏、思兼命と表春命の阿智祝が戸隠に移動したようです。

もしかしたら、その時、神紋を変えたのかもしれません

徳島にある【諏訪大社 元宮】多祁御奈刀弥神社の神紋は、戸隠神社の鎌卍と同じです。

 

諏訪大社 元宮・多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社の謎 参照

 

戸隠神社の鎌卍

守矢家の家紋と同じく、戸隠神社の鎌卍も元は太陽十字で、隼人との繋がりをおもわせます。

 

戸隠神社は竹に象徴される阿多隼人の天児屋根が祖であるからです。

懸犬養氏・倭文氏が本当の天津甕星の系譜 天津甕星は阿多隼人 参照

 

戸隠神社の代々の宮司は犬飼氏です。山師は犬を連れて山を歩き、犬の嗅覚で鉱脈が地上に露出している所を探した

丹生氏の氏神、狩場明神さん(大名草彦)が犬を連れている

こうや高野明神

懸犬養氏・倭文氏が本当の天津甕星の系譜 天津甕星は阿多隼人

戸隠神社鎮座考 より
犬養縣ノ犬? の二氏は倶に手力男命の子孫なれは神詫(託)によりて仕奉る事と成ねるを
その由縁あり又この信濃国に犬養と称ヨふ地多く
あるもその初この氏人の領けるより起れる称ナなるへし

幣立神宮参拝(2) 神陵と西御手洗 天津甕星は阿多隼人も参照

犬飼神社は天応元年(781)、朝廷から信濃にて20戸の封戸を受けた葛木犬養神に由来

 

阿智神社(昼神神社)

天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)は

御児天手力男神(あめのたじからお)と天表春神(あめのうわはるのみこと)を引き連れて

信濃国阿智の里にお降りになりました。

思金神が”天照神が岩戸にこもって世の中が暗闇になった時に、
岩戸から救い出し、再び光の世(昼)に戻した

阿智神社 http://www.geocities.jp/engisiki/shinano/bun/shn250102-01.htmlより抜粋転載

社伝によれば人皇第8代孝元天皇5年春正月天八意思兼命御児神を従えて信濃国に天降り、阿智の祝(はふり)の祖となり給うたと伝えられ

先代旧事本紀に高皇産霊の尊.児天八意思兼命、その児天表春命と共に天降りまし信濃国阿智祝等の祖となるとあり

八意思兼神の御子の天表春命は戸隠神社の祭神武蔵秩父國造、壱岐県主等の祖

 

弟の天下春命は秩父神社と小野神社の祭神であり剣術の一刀流の祖神

http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/tan/tan-11.htm

武蔵の横山党が小野氏を吊乗る以前、 つまり小野氏との関わりが生じる以前、何と吊乗っていたか計り知れないが、瀬 織津姫や天下春命は祭っていなかったはずである。では何を祭っていたのか。

武蔵総社をめぐって古来から上思議な言い伝えがある。武蔵総社が祭られる以前、 そこに別の神社が祭られてあり、武蔵総社に乗っ取られたというのである。

そし て何時の日か、村民によって祭り直されたのが、多摩川対岸にある式内社の一つ、 大麻止乃豆乃天神社であるという。その祭神は櫛眞智命神という多摩川の渡しの 神とされ、水の神に縁がないわけではない。

大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ、おおまとのつのやしろ)については

『延喜式神名帳』に記載されている大和国十市郡の天香山坐櫛眞命神社(現 天香山神社)に「元名 大麻等乃智神」との注記があることから、当社も天香山神社と同じ祭神であろうウィキより

 

小野神社の祭神は 櫛眞智命=天香山命神?

櫛・・櫛眞智命神・・?? 昔の櫛は棒や矢のようなものです。ちょうどこの写真のような

にうかわかみ中社河

もしかして、櫛眞智命神 とはこういったもののことではなかったか?

 

大麻止乃豆乃 おおまとのつの は大きな的(やまと?)の角=尖った矢のようなもの

水神なのか、龍神か、昔の人はこれを肉眼で見て、櫛眞智命神(櫛で繋ぐ・刺す神)と表現したのでは?

まちは「まち針」のまちでしょう。角は、鬼には角があります。

あるいは「まつち」で「真ツチ」、くしまちは「奇し真槌」で、「美しい蛇」の意味かも。
蛇はオハセに例えられます。

矢もオハセも突きさすもの

案山子神も地面に突き刺さっています。

 

天かがし、天かかすも「天照」と同じ意味になる

水に太陽の光が差す=眞智   ではないか?

水と日の結婚が 火水 神

神は串・申に示す=眞智 

 

クナト大神は御気野命

クナト大神は「出雲國造神賀詞(かんよごと)」の中で、 伊射那伎の日眞名子、加夫呂伎(かぶろぎ)熊野大神櫛御氣野命(くしみけぬのみこと)と呼ばれている
伊射那伎の愛され給う御子にして古来よりの尊い神なる熊野大神の櫛御気野命(くしみけぬの命)
クナト大神が熊野大神であり、家津美御子大神です。
(出雲國造はの代替わりの度ごとに朝廷に参上して出雲国造神賀詞を奏上して天皇に忠誠を誓う慣わしがあった。その時、出雲國造神賀詞がよまれた)

スサノオの部下の天ホヒの子孫が出雲国造(こくぞう)となったために、スサノオ(饒速日?)も出雲国造神賀詞に取り入れられたのでしょう。

 

出雲サイドが天香語山を聖地としていたので、なんとしても神武天皇は丹生都姫が忌杖刺し給ひし国かかし」の旅の始まりのこの地で、天香語山=クナト大神=櫛眞智命神 の土で、儀式をしなければならなかったのです。

「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心してその地方を開拓されたという意味だそうです。

 

 

衝き立つ くしまちの神

 

続きます

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