月夜の猫

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(仮)ジャバ

塞ノ神 波比祇神と阿須波神はアラハバキ? 小野神社の御鉾様と鹿島の武甕槌

諏訪の小野神社の御鉾様 武甕槌と中央構造線 波比祇神は鹿島神宮の武甕槌、阿須波神が要石 中央構造線に武甕槌がいる訳 

 

 

信濃・武蔵・相模の三つの小野神社

天児屋根と関係して、天児屋根の子孫が移動してきた信濃の小野神社についてです。 武蔵・相模の小野神社はお参りしました。

武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫と天下春命に変えられた アラハバキ丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社

武蔵一宮の小野神社は瀬織津姫と天下春命 (古くは丹生都姫・アラハバキと櫛真智命)

相模の小野神社はアラハバキと春日明神 を祀っていました。

まだ信濃の小野神社は行ったことがないので、確かなことではないと思いますが、机上で推理できる範囲で

 

信濃の小野神社の御鉾さま

諏訪大社の御柱は大きくて有名ですが、その原型と思われるのが、信濃の小野神社の御鉾さまです。 諏訪大社の御柱は四隅と中心に建てるそうです。 諏訪大社の鉾は、諏訪大社と諏訪神社によると

古くは「御杖」と呼ぶ、榊枝に髪の毛を結び付けたものを束ねた文字通りの杖の長さ軽さだったそうです。中世に書かれた『諏方大明神画詞』には、意訳ですが以下のように書いてあります。 各人が、自分の髪を二本つけた榊を献じた。神長官がとり集めて一束に結び合わせ、御杖と言ってこれを捧げた。

契約のために身体の一部である髪を捧げているようにも思えます (御鉾様の剣の脇に付けると頭髪?)

新しく造られた御鉾様のレプリカ(「風の大地」さんのサイトより)

サナギ鈴img_0

 

小野神社 御鉾様について 玄松子さんのサイトさんより抜粋

「所有者 小野神社 小野神社の鐸鉾は、古くから祭事に使われたとの言い伝えが あるがどのように祭事に使われたかは不明である。諏訪神社に も同型の鉾があり、神領内を巡視する祭儀に使ったものと伝え られている。小野神社の鉾には、十二個の鉄鐸が結び付けられ さらに、麻幣がふさふさと結び付けてあり、七年目毎に行われ る御柱祭に一かけずつの麻幣を結ぶ習わしである。この鐸鉾が どのような祭事に使われたかは不明であるが、麻緒が多数取り 付けられており、しかもその古いものはぼろぼろに崩れるほど になっているところから、おそらく一定の祭儀に用いられたこ とが推定される。境内本殿に向って左方に藤池と呼ばれる御手 洗池があり、そのかたわらの玉垣内に「御鉾様」といわれる石があ り、神聖な場として足を踏み入れてはならない磐座となってい る。この石は方型で中央に孔があいているが、おそらくこの石 に鉾を立て、祭儀のとき神霊を招き降ろした重要な磐座であり、 この祭儀に神の依代として使用した神器ではないかと考えられ ている。-境内案内板-」

 

阿須波神と波比祇神

吉野裕子氏「蛇」によるとすでに縄文時代には、空になった蛇壺の穴に、蛇に見立てた樹の枝を立てていたそうです。それまでは蛇壺で蛇、しかも蛇巫女は毒ヘビを飼ってました。兄が毒ヘビに噛まれて死んだので、蛇を追い出したという話が伝わっています。

草枕旅ゆく君を幸くあれと斎甕据つ吾が床の辺に       万葉集巻17

庭中の阿須波の神に木柴さし吾は斎はむ帰り来るまでに     万葉集巻20

 

阿須波神は万葉集の歌からすると阿須波の神=蛇壺・斎甕

 

玄松子さんのサイトによるとhttp://www.genbu.net/saijin/asuwa.htm

ハヒキは境界アスハは基盤で、ともに屋敷神をさす。 阿須波神は足盤、足場の神・足下の神。足で踏んで立っているところを守る神これらを総合して、ヰカシリ(居処領)の神と言った。「座」は「居処」、「摩」はシリの音転スリの宛字。つまり敷地の神で、注に「大宮地の神の霊」とある通りである。

こちらはウィキ

座摩神(いかすりのかみ/ざまのかみ、坐摩神)は、神祇官西院において祀られた次の5柱の神の総称。

生井神(いくゐのかみ/いくいのかみ)

福井神(さくゐのかみ/さくいのかみ) – 「栄井神」とも。

綱長井神(つながゐのかみ/つながいのかみ)

波比祇神(はひきのかみ) – 「婆比支神」とも。

阿須波神(あすはのかみ)

波比祇神は以前にでてきましたが、丹生都姫ことアラハバキを指すようです。

丹生都比売大神を祀る波宝(ハハウ)神社は 鰹木二本 鰹木二本 春日造四連棟   神 紋:左三ツ巴 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
祭 神:
【第一殿】丹生都比売大神
【第二殿】高野御子大神
【弟三殿】大食都比売大神
【第四殿】市杵島比売大神
三代実録によると貞観八年(866)11月四日乙巳波宝波比売併授従三位とあり。金峯山(黄金岳)の波比売神社と古来より密接な関係にある。
この波宝神社は古代は小竹宮(シヌノミヤ)、若桜宮といわれその後、神蔵大明神、古田大明神ともいわれたという。
明治初年まであった神宮寺には神功皇年まであった神宮寺には神功皇后の念持仏と云われる新羅産の黄金仏があった。
「フルタ」には精錬の村という意味があったという。
大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神も丹生都姫(波比伎神)で、黄金岳鎮座の波比売神社も丹生都姫を祀る」
・大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神は丹生都比売大神
・黄金岳鎮座の式内波比売神社も祭神は昔は丹生都比売大神であったが、現在は、応神天皇とミズハノメに入れ替わったという     (このあたり参考資料「天河への招待」大山源吾著) 

 

丹生都姫が「波比伎神」とされたのは、領地の境界を定める、忌杖をおこなっていたから?

丹生都姫が「波比伎神」とされたのは、領地の境界を定める、忌杖をおこなっていたからではないでしょうか?

神宮皇后も新羅でもここを領土と定めると杖突給い、「忌杖刺し給ひ」杖突神事を行っていました。

そのために、丹生都姫は波比伎神として祀られたのではないでしょうか。

丹生大明神告門(ニフタイミヤウシンノノリト)

大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、 申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、 天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、 丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、 下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、 下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、・・・

「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心としてその地方を開拓されたという意味だそうです。

 

小野神社の御鉾様はハヒキの神とアスワ神?

小野神社の御鉾様は、元々は境界や領土を定める契約の忌杖であり、それを四隅に突き立てることで境界(ハヒキ)を定め、中心とするためだったのかもしれません。

それが、境界を守るハヒキの神とあすわ神として、御鉾様や御柱となっていったのでしょう。

 

ハヒキの神(鉾・蛇・木=境界の神)であり、それを斎壺(土地・境界=あすわ神)に建てる

境界の神といえばクナトの神や、道祖神であり、細長い棒などで境界を表します。

今も神事で竹を立てしめ縄でくくって、結界を貼ります。

 

阿須波神(蛇壺・甕)というのは、縄文時代は蛇が入っていて、しかも毒ヘビだったそうで、やはり外敵の侵入を物理的にも、呪術的にも防ぐためではないでしょうか?

 

小野神社の御鉾様はハヒキの神+阿須波神

小野神社の御鉾様というのは、ハヒキの神+阿須波神と思われます

小野神社のおぼこさまは鉾を立てて、依代としたとされます

ミシャグチ神が蛇と考えられていることから、これは蛇壺ではないでしょうか

蛇を蛇巫が蛇壺で飼っていたことから、御鉾様を立てるのは、蛇が蛇穴に入ることを表しているのではないでしょうか。つまりは魔除けなのでしょうか
ほこ無題

 

 

 

 

新しく造られた御鉾様のレプリカ(「風の大地」さんのサイトより)

サナギ鈴img_0舞さなぎ516AQW0YJRL__SL500_AA300_ミシャクジ神の依代の神使はこの本の表紙のように赤い衣を着ていたそうです

中国少数民族の苗族の守護神、蚩尤は赤をシンボルカラーにしています

諏訪の大祝の就任式は楓の樹の下で行われるそうです

苗族のトーテム、楓と同じです

吉野裕子氏はミシャクジ神を赤蛇(しゃくち)と考えています

猿田彦も魔除けの赤い服で、鉾を持っています

錦は「丹敷」なのかもしれません。

猿田彦

 

茅纏 (チキマ)の矛肖(ホコ)の例として

お写真は「示現神を楢原(神宿)に検証す」さんよりお借りしました 鉾pic-tounai5hokopic-nakayama-obara-hokotatepic-hokoishi-nakayama1

往古中山神社に五鉾を立てる祭事があり, 基壇となる石を四方及び中央に配し,その上におのおの鉾を立てて行われたようなのである。 この祭は,中山神社の最も奥秘の神事と言われ,この祭祀に使用される祭具の鉾を斎き祭ったのが,楢原村神宿の藤内-東内であると言われ, 藤内五家の矛殿はこの祭具ための特別の施設だということになる。 一宮(中山)社家説と藤内家伝とは, この点で完全に主張が一致している。 形状はまちまちながら, 確かに五本の矛も五家に伝世しているようなのである。

 

 

鹿島神宮の武甕槌は小野神社の御鉾さまと同じもの

ところで、「石を四方及び中央に配し」ていたのは,春日大社の御正体です。

かすが春日神鹿御正体

春日大社の春日明神は鹿島明神から勧請されました。

その鹿島神宮の要石も小野神社の「甕」と同じ形です。(写真ウィキより)

かしま神宮要石Kashima-jingu_kanameishi-2

そして、武甕槌というのは、「甕」のなかの強い「蛇」ツチという意味です。

武御雷は小野神社の御鉾様と同じものですね。

境界を守る、武甕槌は中央構造線という土地と土地の境を守っているのでしょう。

丹生都姫(波比伎神)は三日姫ともいいます。甕姫です。縄文の蛇壺のことです。

 

だから諏訪の御柱も、鹿島神宮の要石と武甕槌も、中央構造線という境に塞ノ神として位置しなければならないのです。

かままんじ

 

波比伎神が武御雷、あすわ神が要石・鯰

鹿島神宮でいうと、ハヒキの神(鉾・蛇=境界の神)が武御雷であり、斎壺・蛇壺=あすわ神が要石です。

そして鯰もあすわ神です。

 

鯰というと、丸っこい魚を想像しますが、鯰=狗魚ですので、「狗」はウナギ・雷魚・蛇・葦など細長いもの・細長い船までふくまれます。

このあたりは ようこそ♪ 

豊は雷 姫大神は豊姫・丹生都姫・稚日女尊 豊=狗・雷・蛇・ナマズ・雷魚・ウナギ・蘿・蔦  参照

 

ナマズ=狗(蛇のように細長いもの)=中央構造線ということがお分かりになると思います。

タケミカツチ武御雷Namazu

そして、地震が起こると金が地中でできるそうです。まさに錬金術

水銀鉱脈も中央構造線添いにあるそうです。

だから鉱物資源を求めて、丹生都姫たちは中央構造線にいるのです。

 

「波比伎神」丹生都姫の塞ノ神アラハバキ、水の神瀬織津姫への変遷

丹生都姫は「波比伎神」とされています。

丹生都姫が領主として領地の境界を定めた忌杖から、忌杖が境を守る神・小野神社の御鉾様へと変化し、道祖神やクナトやアラハバキのような塞ノ神として境の神へと変化していったのではなかろうか?

そして、軍事では塞ノ神、鉱物と水の女神としての丹生都姫・アラハバキが後世に水銀採掘が廃れるとともに、律令制の農業の水の女神として瀬織津姫やおかみ神に変化しました。

塞ノ神としての丹生都姫・アラハバキの性格を受け継ぎ、瀬織津姫も塞ノ神として扱われるようになっていったと思われます。

藤原氏が春日大社の比売・丹生都姫とタケミカツチを欲しがったか、わかってきました。

さて、賢明な読者さんはおわかりになったとおもいますが、武甕槌の正体は、それはまた次回に。 ふっふっふ・・・・

 

瀬織津姫が記紀に出て来ない理由は封印されていたからではない

やはり、アラハバキは丹生都姫であって、瀬織津姫ではありません。

瀬織津姫は律令制の元で保護されて出てきた水の女神です。

記紀に出て来ないのは、律令制施行以降に丹生都姫に変わって瀬織津姫が出てきたからでしょう。

 

その証拠に「勅許」で瀬織津姫を祀る神社も建立されています。

記紀の前に丹生都姫大神と言われていた丹生都姫は、記紀はもちろん大祓祝詞にもでてきません。

記紀が書かれて、それから農業の水の女神として瀬織津姫がクローズアップされてきたから、記紀には登場しないだけでしょう。

瀬織津姫に上書きされてしまったのは丹生都姫でしょう。

丹生氏の力をそぎ、鉱物と水の女神丹生都姫の名前を記紀に出さず、律令制に便利な水の女神としておかみ神や瀬織津姫を律令国家は広げていきました。

その歴史を調べもしないで、思い込みや感覚でネットや書籍で一部の人間が瀬織津姫封印封印と流布してしまったために、多くの人が瀬織津姫が封印されていたと思い込んでしまいました。

 

それは、封印されていたと思い込ませることで、封印されていたことにするための呪術だと思った事はないですか?

最近は商標登録という本当に恐ろしい瀬織津姫封印が実行されてしまいました。

速やかに「官の権力を用いた瀬織津姫への封印」が解除されることを願います。

 

<ご参考>

今は 神奈川県厚木市の小野神社は祭神は天下春命になっていますが、客人神として祀られているアラハバキや春日明神が地主神だそうです。

今は摂社にあるアラハバキと春日明神です。

(注)マロトとは門客人のことで、門客神とは、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となったと考えられているようです。 http://sanpomichi114.web.fc2.com/izumo.html

 武蔵一宮「小野神社」 (式内小社論社・郷社・府中市住吉町鎮座) 御祭神 天乃下春命(アメノシタバル命) 瀬織津比売大神(セオリツヒメ大神) 創立年代は不明。

元の祭神は丹生都姫と櫛真智命

 

知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ・ちちぶこくぞう) 武蔵国西部を支配した国造。秩父国造とも。 祖先 八意思兼命。高皇産霊尊の子。思慮深い神。天児屋根命と同一神説がある。 『国造本紀』には崇神朝に10世孫の知々夫命が知々夫国造に任じられたとある。 氏族 大伴部氏か。姓は直。 後裔 天上腹・天下腹・・・・景行朝の人。大伴部氏の祖?磐鹿六狩命に従って天皇に料理を献上した。 大伴部赤男・・・・奈良時代の武蔵国入間の豪族。外従五位下。知々夫国造の末裔か?

春日氏は和爾氏で、ウィキによると

「出自については2世紀頃、日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ鍛冶集団とする説がある。 本拠地は旧大和国添上郡和邇(現天理市和爾町・櫟本町付近)、また添下郡。 6世紀頃に春日山山麓に移住し、春日和珥臣となる。 大宅氏 小野朝臣 粟田氏 柿本氏 布留氏社家)」

布留氏は石上神宮の社家

鍛冶はカーチで「はるひのかすが」の鍛冶・カーチが=春日

 

系図もウィキによる

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瀬織津姫と天下春命は犬飼氏 戸隠神社は天河弁財天とペアの彦星(犬飼星)

武蔵一宮小野神社の瀬織津姫(丹生都姫)と天下春命は犬飼・縣犬飼氏の祖

このブログのタイトルを月夜の猫の散歩道から「水の系譜 狗の系譜」にしたのは、スピ界隈で橘氏や縣犬飼氏を「犬犬」という発言を目にしたからです。

天津甕星ファンや瀬織津姫ファンのかたで縣犬飼氏を「官憲の犬」「犬が蛇(瀬織津姫)を封印した」と書いておられる方がいて、本当にそうなんだろうか?と 

感性も大事ですが思い込みにつながります。

瀬織津姫を氏神とされる他の方々のためにも、やはり歴史を調べて、証拠を示すことは大事だと思いました。

 

 

自分の出自は寺の過去帳みれば江戸くらいまでは調べられるだろうけど、系図も何もないからどうして実家が橘氏なんだろうと。お陰様で江戸以前の系図がありました。

橘奈良麿の子が熊野国造家に養子に入り、子孫が楠木正成で、その子孫が伊勢楠木氏になり、それが織田信長ににらまれて、断絶後は潜伏してたみたいです。

 

橘氏・楠木氏だったのはわかったから、「水の系譜 狗の系譜」にして、「水の系譜」の橘氏と縣犬飼氏がどんな氏族かを中心に調べてきました。

橘氏よりもっとわからない縣犬飼氏は「狗の系譜」で瀬織津姫の原型の古い母神の系譜、狗とはナマズ・ウナギ・雷魚・河豚・蛇・葦などなど、水の生き物も狗であったのです。

このあたりのことは ようこそ♪ にまとめてあります。

 

しばらく、橘氏と縣犬飼氏と瀬織津姫や天津甕星との関係を検証する記事を書いてきました。

スピの人の紀行文は読みやすいからいいのですけど、検証してるわけではないから

検証中心ですので、証拠を示さなければならないので、申し訳ないですが、読みにくいとおもいます。

 

 

今まで調べて来て、縣犬飼氏が瀬織津姫の系譜、それも日下部吉見の蒲地姫が日本の古い古い母神の系譜だとわかって私は嬉しかったです。楠木正成も祭神が瀬織津姫である建水分神社を建立してます。

瀬織津姫の変遷 犬飼明神は瀬織津姫の息子 日下部吉見の蒲池比咩(阿蘇津姫)は瀬織津姫 蒲地姫=與止日女=丹生都姫(豊姫・川上明神)

 

倭文氏と縣犬飼氏が天津甕星の系譜なのは「新撰姓氏録」や「戸隠神社鎮座考」などでわかりました。

『新撰姓氏録』はリンクがらご確認ください。

神魂命(神皇産霊尊神産巣日神:かみむすびのかみ)は造化三神(よくわかりませんです)の一柱です。日本の 神々の舅のような役割です。

まさか本当にご先祖さんが造化三神ということはないと思いますけどね・・・やはり古い日本の土着の氏族ということでしょう。

別名、神魂大刀自神とあるように、造化三神のうち神魂命だけ女性という説もあります。

阿居太都の阿太は阿多津・吾田津から?★『新撰姓氏録』で気が付いたこと1 より
『新撰姓氏録』によると、

県犬養宿祢も神魂命八世孫阿居太都命之後也
犬養氏は神魂命五世孫天比和志命之十九世孫田根連之後
犬養氏も火明命の子孫

日下部阿多御手犬養同祖、
若犬養宿祢は火明命十五世孫古利命之後也
海犬養氏は海神綿積命之後也、
凡海連も海神綿積命男穂高見命之後也
安曇宿祢は海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也

阿居太都命とは手力男命のまたの名だそうです戸隠神社鎮座考

阿居太都命=手力男命=天背男 命=伊佐布魂 命で天津甕星のことです。

そして阿居太都命=手力男命=天背男 命=伊佐布魂 命=天津甕星=天児屋根です。

 

神魂命ー角凝魂ー伊佐布魂ー天底立命ー天背男命ー天日鷲翔矢命ー天雷雄命ー〇ー阿居太都命

木屋の資料館さんより
安曇あずみ・安曇犬養あずみのいぬかい・辛犬甘からいぬかい・倭やまと・大倭やまと・明石あかし・八木氏
綿津見豊玉彦━┳宇都志日金折━多久置━━━穂己都久・・・[安曇・安曇犬養・辛犬甘(穂高)]
  (海神) ┃(穂高見)
       ┗振  魂━━┳武居起━┳━珍 彦・・・・[倭直・倭国造・明石国造]
       (布留多麻) ┃    ┃(椎根津彦)
              ┗大鐸比売┗━八玉彦・・・・[八木氏]

戸隠神社の犬飼氏は天河弁財天とペア 彦星(犬飼星)と織姫

くずりゅう戸隠神社

戸隠神社は天河弁財天の裏と言われていて、戸隠神社の宮司家の犬飼氏隼人系の同じ氏族と思われます。

戸隠は太陽十字の戸★戸隠の手長男・牽牛と天河弁財天の織姫・弁財天★天津甕星5 

九頭竜弁財天が存在します。

天川村と丹生都姫の子(子孫)犬飼明神の犬飼は近隣です。

天河弁財天の織姫(弁財天・丹生都姫)とペアの彦星(犬飼星)の氏族が犬飼・縣犬飼氏です。

 天児屋根は天津甕星 天児屋根は天津甕姫の夫 参照

 

「戸隠神社鎮座考」から武蔵一宮の小野神社の瀬織津姫も天下春命も、移動していった隼人、縣犬飼・犬飼氏であることがわかりました。

武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫と天下春命に変えられた 丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社

天八意命児とは天表春命を曰せるなり

天表春命は 八意思兼ノ神ノ児 信乃阿智祝部等祖

姓氏録摂津天神の條に多米ノ連神ムスヒノ命五世ノ孫天ノ比和志命之後也とある次に

犬養同神十九世孫田根連之後也といひまた左京
神別に縣犬養宿祢神魂命八世孫阿居太都命之後也とあり  戸隠神社鎮座考

武蔵一宮小野神社の瀬織津姫と天下春命も犬飼・縣犬飼氏

天下春命は天児屋根命(八意思兼神)の息子です。

八意思兼神の御子の天表春命は戸隠神社の祭神 武蔵秩父國造、壱岐県主等の祖 です。

弟の天下春命秩父神社と小野神社の祭神であり剣術の一刀流の祖神

何故か父の天児屋根命は祀っていません。

瀬織津姫より隠したかったのは、瀬織津姫になってしまった天津甕姫と夫の天児屋根の天津甕星では?

と 天児屋根は天津甕星 天児屋根は天津甕姫の夫 で書きました。

 

戸隠神社鎮座考」 参照 http://w2.avis.ne.jp/~khmasako/index /togakushikenkyuu/shiryouhyoushi/shiryou/togakushijinjachinzakou.pdf

「戸隠神社鎮座考」を久しぶりに拝見したら、天香語山は四国でも大和でもなく、実は戸隠山だったことが書いてあり、
戸隠神社に天香語山の子孫の犬飼氏がいて、それが埼玉に行き、武蔵に行き、武蔵一宮の小野神社の
祭神の瀬織津姫(丹生都姫)と天下春命は犬飼・縣犬飼氏の祖だったことがわかります。
 
小さな字で目が大変ですので、まだ、全文拝見してませんが
 
これからはもう「犬いぬ」とは言わせません♪ 
瀬織津姫は実際に「狗」の一族でしたから♪ 
 
瀬織津姫も天津甕星も狗の一族と言うことになります。鯰もウナギ・雷魚・蛇も狗ですよ。
長い長い探索の旅でした。
 
これで瀬織津姫も天津甕星も喜びます。
ご先祖さんたちも喜びます。
 
字が小さくて、証拠となる部分を抜粋させていただくのは大変なので、とりあえずご報告です♪
少し抜粋させていただいて
 

天背男命=伊佐布魂 命=手力男命

猶おもうに旧事紀天神本紀の 条随従三十二神の中天背男 アメノセオノ 神山背 ヤマシロ 久 ク 我直 ガノアタヒ 等祖 ラガオヤ また伊佐布 イサフ 魂 タマノ 命委文連 シトリノムラジ 等祖 ラガオヤ 印本文を久に誤れり
今は 氏姓録に依りて校正しつと在る
この天背男 命も伊佐布魂 命も倶に手力男命又名なるを「戸隠神社鎮座考より
 
天背男 命=伊佐布魂 命=手力男命で、
山背 久我直 伊佐布 イサフ 魂 タマノ 命委文連 シトリノムラジ 等祖としたのは、「文を久」と(写し)間違えたからだ、とあります。
 
遠野の倭文神社(祭神天照大神・瀬織津姫など)は橘氏の守護として建立されたものです。
倭文と縣犬飼氏、天背男命=天津甕星の系譜です。
 

饒速日の随従三十二神の降臨はニニギ命のまね

その由は古傳史に 委しく説れたれは 就て見るべし
因にいふ天背男命と称す御名の義は古史傳に未た思 行すと有と
今試にいはばこは塞男(セヲ)なるべし
祝詞に四方 内外御門に如二湯津磐村塞坐一とある意よりへ給へりと聞えて佐夜 理を約むれば志なるを勢に通はせたるは何ある事いふも更なり関を 勢伎といふも塞 城なるものをや
随従三十二神の事は記傳に思ふに 16 -1 是らは実には皆神御孫命の天降坐し時の 御供奉の神等にて古記に記傳たるか埋れて 遺れりしを竊に取てこの邇芸速日命の事に偽りなせる家記 イヘフミ を取て記せる物とこそ見えたれ と論れたるに依れは古史傳にもこの師説を本として 猶種々の論あり就て見るべし 旧事記は手力男命の天降坐し事をそのまた 名なる天背男命伊佐布魂と傳る物にてこれ 手力男命の皇御孫命の御供奉として天降坐る 亦の證なれは天忍日命すなはち手力男命なる といふ古史傳の説に相通はせて誣説ならぬ事を 弁ふべし「戸隠神社鎮座考より
 

饒速日ファンと物部氏の子孫には申し訳ないですが、

旧事紀天神本紀の饒速日の随従三十二神の事は、ニニギ命の天下りをまねて記したもので、手力男命が天降坐し事を別名の天背男命伊佐布魂と伝えるもので、天忍日命は手力男命だということを伝えるものだそうです。
 
やはり「真澄探當證」が伝えるように、物部尾輿や物部守屋の祖は、応神天皇五世孫彦主人王(吾田彦)従者・継体天皇の乳人の草平とおなみ夫妻なのではないでしょうか?
 
武蔵一宮の小野神社の天下春命は饒速日命ではありません。
そして火明命も饒速日とは別人のようです。
 
もとの祭神、櫛真智命が天香語山命なのではないかと考えてます。この検証はまた
 
天香語山命の妻は天美豆玉照比咩 です。
 

名前が消されたのは瀬織津姫ではなく丹生都姫

ちなみに天津甕姫(天三日姫)は丹生都姫です。
丹生川上神社のご祭神です。
 
春日大社の元宮、枚岡神社では、比賣大神は主祭神である天児屋根大神の后・天美豆玉照比咩大神だそうです。
やはり 丹生都姫・天三日姫=天美豆玉照比咩 です。 ようこそ♪ 参照
 
三つ玉照、は「三つの玉が輝く」なので、星ですね。
いすず小ほしstars-character「星/曐」の漢字の意味・成り立ちさんよりhttp://okjiten.jp/kanji89 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 形成文字です(晶+生)。 「ほし」の象形と「草木が地上に生じてきた」象形(「生える、生きる」の意味 だが、ここでは「清」に通じ、「すみきっている」の意味)から、澄んだ 光の「ほし」を意味する「星」という漢字が成り立ちました。(「星」は「曐」の俗字(省略字)です。) ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)は 三つの輝く星 天津 三箇(甕) 星(晶と生=日が生まれる) 比売大神は天津甕姫ですね。
 
元宮の大和神社の摂社雨宮の雨師明神・タカオカミは川上明神の丹生都姫です
後世に律令制の農業の水の女神として、瀬織津姫とされました。
大和神社 日本大国魂大神

 神紋 橘
5摂社 増御子神社「猿田彦命、天鈿女命」 
摂社 朝日神社「朝日豊明姫」 
摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする。 

 

 
天武朝に政治的理由で名前が消されたのは瀬織津姫ではなく、強大な力を持っていた丹生氏の丹生都姫です。
 

天香語山のおかみの傍らに甕が埋まっています。おかみは水と鉱物の丹生都姫の名前がかえられたものですから、

豊斟停尊=おかみ(雨師明神)=丹生都姫(アラハバキ)=三日(甕)姫

ということになります。

水銀採取用の携帯用のを持って山に入る三日たたらの甕姫、水銀の丹生都姫

丹生都姫はアラハバキです 
 
 

丹生都姫は波比売・波比伎神アラハバキ

丹生都姫もハハキ神★アラハバキ考4丹生都比売大神を祀る波宝(ハハウ)神社は 鰹木二本 鰹木二本 春日造四連棟   神 紋:左三ツ巴 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
祭 神:【第一殿】丹生都比売大神 【第二殿】高野御子大神 【弟三殿】大食都比売大神 【第四殿】市杵島比売大神
三代実録によると貞観八年(866)11月四日乙巳波宝波比売併授従三位とあり。金峯山(黄金岳)の波比売神社と古来より密接な関係にある。
この波宝神社は古代は小竹宮(シヌノミヤ)、若桜宮といわれその後、神蔵大明神、古田大明神ともいわれたという。
明治初年まであった神宮寺には神功皇年まであった神宮寺には神功皇后の念持仏と云われる新羅産の黄金仏があった。
「フルタ」には精錬の村という意味があったという。
大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神も丹生都姫(波比伎神)で、黄金岳鎮座の波比売神社も丹生都姫を祀る」
・大和国吉野郡式内で銀峯山鎮座の波宝(ハハウ)神社の祭神は丹生都比売大神
・黄金岳鎮座の式内波比売神社も祭神は昔は丹生都比売大神であったが、現在は、応神天皇とミズハノメに入れ替わったという(このあたり参考資料「天河への招待」大山源吾著) 丹生都姫もハハキ神★アラハバキ考4 より
ちなみに金峯山(黄金岳)の波比売神社とあるように、金峯山鎮守の建水分神社のご祭神の一柱は瀬織津姫ですが、こちらも丹生都姫が律令制になってのち、瀬織津姫として祀られたと思われます。
 
瀬織津姫は封印されていたわけではありません。
 

瀬織津姫やミズハノメに名前が変えられたのは丹生都姫です。

 

犬養・縣犬飼の二氏は手力男命の子孫

犬養縣ノ犬羪の二氏は倶に手力男命の子孫なれは神詫(託)によりて仕奉る事と成ねるを
その由縁あり又この信濃国に犬養と称ヨふ地多く
あるもその初この氏人の領けるより起れる称ナなるへし「戸隠神社鎮座考より

阿居太都命=天背男命=伊佐布魂 命=手力男命の子孫が縣犬飼氏と犬飼氏


 まだ途中ですが、とりあえす

ポチポチまとめます。

 

 

 

瀬織津姫の変遷 犬飼明神は瀬織津姫の子孫 日下部吉見の蒲池比咩(阿蘇津姫)は 瀬織津姫 蒲地姫=與止日女=丹生都姫(豊姫・川上明神)

瀬織津姫は隼人 日下部吉見神社の日下部氏 

隼人の日下部吉見の蒲池比咩の別名も瀬織津姫だそうです。

http://dostoev.exblog.jp/i199/

こちらのサイトを拝読すると、「日」を奉じる氏族の日下部吉見神社の日下部氏の家紋は日足紋から揃鷹羽紋に改めたそうです。

日足紋           揃鷹羽紋

 

 

瀬織津姫の阿多隼人の蒲地姫

阿蘇津姫が日下部吉見から嫁いだ蒲池比咩(かまちひめ)が瀬織津姫であったことを知りました。

阿蘇国造神社は斬られて逃げてきた「鯰」を祀ったとされる。阿蘇国造神社には速瓶玉命や阿蘇津姫が祀られている。

なまずは蒲地姫のトーテムだ。

 

日下部吉見神社の境内には御塩井という湧き水があり、一度も涸れることがなかったといわれているそうですが、桜井神社にもお潮井があったから繋がっているのでしょうね。

筑前糸島の桜井神社 お潮井

 

お潮井

縣犬飼三千代は阿多隼人で、養い子が草壁皇子でしたから、日下部吉見に因んで「くさかべ」とつけたのじゃないかと思っています。

宇佐神宮の伝承では夫の建磐龍を殺されて、蒲地姫は阿蘇に逃げて、故郷に戻ることができなかったそうです。

このへんは良く知らないのですが建磐龍が速瓶玉命で、速瓶玉命が殺されて建磐龍に名前をとられたということになるのでしょうか?違っていたらごめんなさい

阿蘇津姫は雨宮媛命、丹生川上神社の元宮、大和神社も雨師明神として丹生都姫が祀られています。

丹生都姫も後世、律令制ののち、農業用の水の女神瀬織津姫とされました。

橘氏のご先祖さま瀬織津姫とも呼ばれた蒲池比咩の故郷にも行ってみたいです。

 

蒲池比咩=與止日女(よどひめ)

菊池氏の主流である日下部氏が奉祭する阿蘇の母神の蒲池比咩(かまちひめ)は肥前国一宮である川上神社に祀られる與止日女(よどひめ)と習合しています。 

 

筑前糸島の桜井神社(與止日女宮)で川上の與止日女は瀬織津比咩と同神とされています。

http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/be756fc0c56327efea49e594babb558e

国造神社は阿蘇神社の元宮であり、本来は阿蘇の神々の母と呼ばれる地祇神「蒲池媛」を祀るといわれる。
 「蒲池媛」は八代海、宇城の地より阿蘇に入り、速瓶玉命に嫁いだとされる。小国の出自である速瓶玉命の妃、雨宮媛とは別人のようだ。
 この「蒲池媛」は神功皇后の三韓征伐に従ったという。蒲池媛は「満珠干珠の玉」で潮の満ち引きを操り、皇后軍を勝利に導いたとする。蒲池媛も海人の血をひく。
 そして「満珠」は蒲池媛を祀った宇土の郡浦神社に、「干珠」は阿蘇外輪の草部吉見神社に祀られたという。また阿蘇家文書には満珠干珠は阿蘇山の玉嶽に納める。とも見える。

阿蘇津姫も蒲地姫も世襲の姫巫女のようです。

 

蒲池比咩=與止日女=瀬織津比咩

「蒲池媛」は神功皇后の三韓征伐に従ったとされる

これも世襲の何代目かの「蒲地姫」が神宮皇后に従ったのでしょう。

そして神功皇后の三韓征伐に従った「蒲池媛」は川上(河上)神社の川上明神とされます。

 

與止日女=豊姫=川上(河上)神社の川上明神

紀州の丹生川上神社の元々の祭神川上明神は謡曲「香椎」に出てくる天照大神の妹分の豊姫です

 

豪族丹生氏が神宮皇后を援助したため、丹生氏の祖の丹生都姫が神宮皇后に従った話になっています。

豊は雷 姫大神は豊姫・丹生都姫・稚日女尊 豊=狗・雷・蛇・ナマズ・雷魚・ウナギ・蘿・蔦 参照

かの豊姫と申すは。川上の明神の御事。(略)我はこれ。神功皇后 の妹。川上の明神豊姫

とあります。

そして、戦勝後、丹生都姫を天津神に格上げし、天照大神の妹分ということで、丹生都姫の神領は安堵されます。

それを高らかに祝詞したのが「丹生大明神告門」です。

丹生大明神告門(ニフタイミヤウシンノノリト)

大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、 申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、 天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、 丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、 下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、 下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、・・・

「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心してその地方を開拓されたという意味だそうです。

 

天の御蔭というのは、大王以前の王の称号です。

持統天皇と不比等が隠したかったのは、瀬織津姫ではなく、丹生都姫の存在ではないでしょうか。

その証拠に丹生川上神社もおかみ神に祭神が代わっており、武蔵一宮の小野神社でも丹生都姫から瀬織津姫に祭神が変更されています。

 

九州の「河上神社文書」にも與止日女は「豊姫」神功皇后の妹分

http://trakl.exblog.jp/17871187

與止日女は肥前国風土記に「川上に石神があり、名を世田姫という。海の神、鰐魚が流れに逆らって上りきてこの神のところに到るに、海の小魚もしたがって来る。」とある世田姫(よたひめ)と呼ばれる海神。
 與止日女はまた「豊姫」とも呼ばれ、神功皇后の妹ともされる。豊姫は前述の「豊玉姫」に通じる。
 「河上神社文書」に「神功皇后が戦さに備え男装する際、龍女の厳島大明神と宗像大明神が顕われ、それに続いて皇后の妹、河上神社の豊姫が顕われ、皇后の祈祷を助けた。」と記される。

淀姫神社 http://www.genbu.net/saijin/yorozuhata.htm
よどひめじんじゃ
佐賀県伊万里市大川町大川野1973  

御祭神
與止日女命 建御名方命 菅原道真公
合祀 外十五柱 (明治四十二年合祀)

 

http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/a22e7aa3f3c375fe6518a5e044641dc4

與止日女は神功皇后の妹神「豊姫」ともされた。
 この與止日女は筑前、那珂川の守り神ともされる。與止日女は、旧筑紫郡岩戸村の那珂川畔で「伏見神社」の祭神、「淀姫命」として祀られ、ここでは、大阪夏の陣や島原の乱、日清戦争、日露戦争などの折に「鯰神」が現れたという。この那珂川の鯰神は神功皇后三韓征伐の折、群をなして船を抱き、水先案内として戦勝に導いたとされる。

蒲地姫などのトーテムのナマズは淀姫のトーテムですが、鯰=狗魚としてみたとき、狗とは細長いものも含み、鯰・ウナギ・蛇・蜥蜴・葦なども含みます。細長い船も「狗」と言えます。

鯰神群をなして船を抱き、水先案内として戦勝に導いた」というのは、隼人がカヌーのような細長い船で母船を護送していったということではないでしょうか?

丹生氏の水銀朱を防腐剤をかねて船に塗ったそうです。

 

生田神社の稚日女尊(わかひるめのみこと)も丹生都姫

生田神社の稚日女尊(わかひるめのみこと)も丹生都姫です。

神宮皇后に従った功績で丹生氏の丹生都姫が天照大神の妹分ということで、天津神に昇格されました。

妹分ということで、「稚日女」です。

稚日女尊 – Wikipedia

丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。

豊姫は神宮皇后を助けた丹生氏の祖、丹生都姫ですので、

蒲池比咩=與止日女=豊姫(川上明神・丹生都姫)=瀬織津比咩 という図式が成り立ちます。

長い時をかけて、あちこちの母なる女神が合体していったという感じです。

決して、何でもかんでも瀬織津姫というわけではありません。

 

 

橘氏祖の縣犬飼三千代も阿多隼人だとにらんでいます。

理由は養い子の草壁皇子 の草壁です。草壁も日下部です。

檀林皇后の梅宮神社は、阿多隼人のこのはなさくや姫と酒解神を祀ります。酒解はおおやまつみとされています。

自分の先祖を祀りますので、縣犬飼三千代も阿多隼人だと思います。

<追記>

犬飼氏や縣犬飼氏は神魂命の子孫で、手力男を祖神として祀っていますので、天御中主・神魂命・手力男の系統のようです。

高木神・タカミムスビの系統は日下氏とつながるのでしょうか? まだわかりませんが・・・

 

楠木正成も橘氏ですが、後醍醐天皇から菊花紋を賜る前にも日下部吉見氏の紋または十六菊花紋を使用していたと思われます。

皇室の紋は菊花紋ではありませんが、後鳥羽上皇がお気に入りなことから、皇室で好んで使われるようになったそうです。

ですので、楠木正成は遠慮したのだと思います。

日下部吉見氏 日足紋  十六菊花紋

 

楠木正成が建立した建水分神社は金剛山鎮守、金剛山といえば、高野山を空海に譲った丹生都姫と高野明神の領地でした。

空海が犬を連れた高野明神(犬飼明神・狩場明神)に出会ったのは犬飼です。奈良縣五條市犬飼町だそうです。

 

丹生川上神社中社の下流の牧で大切に飼われてました。この辺だと運転手さんが教えてくれました。

でも山の中で稲も育たない、飼い葉がないので、朝廷に馬の代わりに絵馬にしてくださいと頼んだそうです。

それが絵馬の起源だとおっしゃってました。

 

犬を飼っていたのは丹生都姫(のちの瀬織津姫)の一族ということになります。

もしかしたら、犬飼明神(大名草彦・狩場明神)が犬を連れていたのは、雨乞いか晴れ乞い(?)で丹生都姫に奉納するためだったかもしれません。

丹生都姫       犬飼明神(大名草彦・狩場明神)

 

馬を山中で飼うのは飼い葉がなくて大変で牧が必要ですが、犬でしたら鉱物を探すのに役立つので、鉱物の女神に犬を奉納するところか、鉱物探索の最中だったのかもしれません。あるいは、狩りの途中だったのかもしれません。

 

 

犬飼明神は瀬織津姫の息子(子孫)

犬飼明神は狩場明神・大名草彦とも言います。丹生都姫の息子(子孫)です。

縣犬飼三千代の血を引く橘氏の楠木正成が瀬織津姫を祀る建水分神社を建立し、氏神様の瀬織津姫を祀ったのは当然です。(もとは丹生都姫だと思いますが・・)

菅原道真公も十六菊花紋を使用しており、これも本来の水神を祀る社が祭神を菅原道真公に変えたためと言われています。

じゅうろく菊花紋きくすい小100 

そして楠木正成は菊流れにした。

 

瀬織津姫は封印されていたは間違い 勅許で祀られていた

楠木正成は勅許を受けて建水分神社を建立し、祭神の一柱が瀬織津姫です。

勅許です。

瀬織津姫は官によって封印されていたは間違いです。

橘氏の楠木正成が建立したのも建水分神社です。

きくすい小100

瀬織津姫が「官により封印」されていたとしたら「勅許」ということがありますか?

 

むしろ律令国家の礎の農業の水の神として瀬織津姫を大事にしたから、

公に認めていたから、「勅許」で建立されたのではないですか?

瀬織津姫と習合した丹生都姫の丹生川上神社の元宮、大和神社の神紋は橘氏と同じ橘です。

 

鉱物と水の女神丹生都姫やアラハバキが瀬織津姫に上書きされることはあっても、水の女神を封印しても何の得にもなりません。

現に武蔵一宮の小野神社は祭神が丹生都姫・アラハバキから瀬織津姫に代わっています

 

瀬織津姫の名は記紀成立後にクローズアップされた

記紀に瀬織津姫の名がないのは記紀成立後にクローズアップされたからです。

記紀は天武天皇のときに編纂が開始されました。

持統天皇と不比等によって律令国家造りが進められ、律令国家の礎として農業の水の神として瀬織津姫はクローズアップされました。丹生都姫は丹生氏の勢力をそぐためと、鉱業は農業の水を汚すため、丹生都姫から瀬織津姫やおかみ神に祭神の上書きがされていきました。

記紀に瀬織津姫の名がないのは瀬織津姫が流行する前に記紀が編纂されたからでしょう。

それを以て瀬織津姫は封印されていたとするのは間違いだと思います。

 

 

岐阜の野宮神社

野宮神社の主神は「壇林皇后」で、「速開津比売神、瀬織津比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神」という祓戸四柱神を「合祀」したとされます

野宮神社(岐阜市近島829-1)
「野宮神社は、隣りの集落に鎮座する葛懸[かつらがけ]神社(大明神)の「禊祭り」のとき、集落の境界までですが、必ず挨拶をしにこられる社でもあります。葛懸神社は美濃市の洲原神社(洲原白山神社)の分社といった古伝承もあり、野宮神社(祭神)は白山信仰とも縁があるようです(菊池展明『円空と瀬織津姫』上巻)。」

こちらは橘奈良麿の変に連座して排斥された藤原豊成公の娘中将姫と関わりの深い神社です。

瀬織津姫フリークの方は檀林皇后に上書きされたとおっしゃる方もいらっしゃいますが、フリークの方の説では瀬織津姫は饒速日の妃(これも違うと思いますが)ですよね?

お話では王と皇妃という設定ですよね?

皇妃が瀬織津姫〇〇子設定ではなかったのですか?

橘氏という海人族の血が入った后は認められないのなら、瀬織津姫〇〇子も后ではあり得ないですね。

瀬織津姫を祀る神社で、瀬織津姫を祖神とする橘氏の檀林皇后が 合祀されているのは不思議なのでしょうか?

 

丹生都姫は雨師明神、タカオカミ

瀬織津姫の神紋の一つも橘ではないですか?

それでもまだ犬が蛇を封印したと言いますか?

 

橘は男系で、天皇家の方かもしれません。

日足紋や菊花紋は日下部吉見系ですから、阿多隼人の縣犬飼氏だと思います。

でも海神族なので鯰(狗魚)がトーテムです。まだこのあたりのことはよくわからないです。

大和神社 日本大国魂大神

 神紋 橘
5摂社 増御子神社「猿田彦命、天鈿女命」 
摂社 朝日神社「朝日豊明姫」 
摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする。 

 

 

遠野の倭文神社 (天照皇大神 下照姫命 瀬織津姫命) も橘氏が建立したのではないですが?

五日市館主橘家の守護として、 文殊菩薩を勧請崇敬せり。慶長年 間(西暦一五九六年)鱒澤氏の反軍に 敗れ修験道に帰依、・・・

田心姫(宗像三女神) 神紋 橘
瀬織津姫は多岐津姫・田心姫たごりつひめのみこと5

東北と出雲弁で瀧姫・瀧織姫をよむとそうなるんですね


瀧織津姫(たきおり→たごり)=田心姫命(たごりつひめのみこと)

瀧津姫(たきつ→たぎつ)   =  湍津姫命・多岐津姫(たぎつひめのみこと)

みんな瀧(織)津姫=瀬織津姫のことです。

 

東北と出雲弁で瀧姫・瀧織姫をよむとたごり

瀬織津姫は封印されていない★多岐津姫・田心姫(宗像三女神)・イシュタル・ハルキ神・アラハバキ  「瀧」の字がない時代に滝の意味である「瀬織」の字が当てられたのなら、

川折津姫(しょうりつ)=瀧(織)津姫で、
たきおりつ、たごりつ姫、たぎつ姫ですよね・・・

瀧織津姫=田心姫命(たごりつひめのみこと)、
瀧津姫   =  湍津姫命・多岐津姫(たぎつひめのみこと)

同じですねーなんだ、あっさり・・・・・

アイヌ語でショウリ=川折=瀧(織)のよみを、
大和言葉で「たきおり」とよんで、

それがつまって、「たごり」と「たぎ」

そういえば、今も東北では、濁音が入るんですよ ね
「たき」が「たぎ」、「たきおり」が「たごり」
田心姫(宗像三女神) 神紋 橘
瀬織津姫は多岐津姫・田心姫5
 
 
 

 

昔々から、私達、多くの人の氏神であった瀬織津姫(丹生都姫・蒲地姫・淀姫・・)

昔から瀬織津姫は封印なんてされていません。

瀬織津姫は「勅許」という官のバックアップで世に広められているのに、犬が蛇を封印しただの、スピの人にはついていけません。

相模と武蔵の小野神社では、アラハバキや丹生都姫に瀬織津姫が上書きされています。

それからすると、支配者は瀬織津姫を広めようとしていたのに、商標登録という「官の力」で瀬織津姫を®の印をつけ、封印するのは、どんな意味があるのでしょうか? 不思議です。

 

瀬織津姫哀歌

瀬織津姫哀歌 商標登録という封印

自分の先祖の氏神は瀬織津姫で、「勅許」により千年近く前に瀬織津姫をご祭神とする神社を建立しました。

瀬織津姫の商標登録がなされたために、書物も絵すらもその人物の許可なしには世に出せなくなってしまったそうです。

ネットで騒ぎになっているのは知らなくて

特許庁によると、瀬織津姫神社の瀬織津姫のお札も例外ではないそうで、瀬織津姫関係の神社の方々や氏子さんのお怒りもごもっともです。

 

自分のご先祖さまが建立した瀬織津姫を祭神とする神社に「瀬織津姫」という題を付けた絵を奉納することもできなくなりました。

奉納でしたら無料だから大丈夫かと思ったら、「奉納」したお酒にも「瀬織津姫」とラベルしたら、商標登録された方からクレームがいったと書かれていました。

http://dostoev.exblog.jp/24573019/

http://dostoev.exblog.jp/24601478/

瀬織津姫がエロ小説となるのを防ぐためだと周りの人は信じています。

今も信じておられると思います。

 

でも、網羅的に登録がかけられており、聞いていた話とは違います。

商標登録されたのは瀬織津姫がエロ小説になるのを防ぐためだと説明しておられました。

でも実際には、瀬織津姫の神社の方の「瀬織津姫」というお香の商標登録もダメhttp://blogs.yahoo.co.jp/ruriironohahasama/27554151

瀬織津姫の神社に奉納する「瀬織津姫」というラベルのお酒もダメとは・・・

 

例えば「瀬織津姫」という名前のお花もその人の許可がなくてはできなくなってしまいました

悲しく悲しくて

 

ご先祖さまの信仰がその人に独占され、踏みにじられた気がします。

ご先祖さまが愛した瀬織津姫はもう、個人の「商標」になってしまったのだと思うと、それがこんなに悲しいとは思いませんでした。

 

ブログに書いておられることと、行動されたことが違うので、きっとこれからは瀬織津姫を封印してしまった登録商標氏の許可を得なければ、題名に含む書籍も書けなくなるのでしょうし、千年近くも氏神である瀬織津姫に商標登録マークを®( Rの囲み文字)をつけないといけなくなったら、御先祖さんたちはなんと思うのかしらん?

®瀬織津姫と書くか、名もブログも伏字で書かないといけなくなるのかしらん・・・?

 

瀬織津姫は「官により封印」は間違い 勅許により瀬織津姫は祀られてきた

「瀬織津姫は官により封印されていた」とおっしゃっているそうですが、私の先祖は千年近く前に既にご祭神を「勅許」を受けて「瀬織津姫」として公に祀っていたのに、なぜ「官により封印されていた」と嘘をつくのでしょうか?

「官が瀬織津姫を封印した」と繰り返しご著作に書いておられますが、何故「勅許」を受けて瀬織津姫を祀る神社が建立されているのでしょうか?

封印されていた、封印されていたと繰り返し書くことで多くの人は瀬織津姫は封印されていたと誤解します。

それこそが狙いではないでしょうか?

 

封印されていたのは瀬織津姫ではなく、水銀や鉱業や鉱業資源や鉱業技の象徴としての丹生都姫だと思います。冨や武力や権力をもたらすのは鉱物だから。

そのあたりのカラクリは

アラハバキ考2(増補改訂版)★切られたハハその1火之迦具土神は国常立と豊雲野とみずはのめ

(追記あり)国見する朱の女神 丹生都姫 天津甕姫 波比伎神 

をご覧いただくとわかると思います。

 

®瀬織津姫と目にするだけで、「瀬織津姫は封印されている」というイメージを植え付けます。

瀬織津姫「登録商標 登録番号○○」もなおさらです。

多くの人の想念を利用して、瀬織津姫を封印していることになります。とんでもないことです。

 

先祖が建立したした瀬織津姫を祭神とする神社に参拝されていたとご著作にも記されていたので、千年近く前に瀬織津姫が祀られていたという由来はご存知でしょうに

それとも、勅許により建水分神社が建立されたこともご存知なくて、ご著作に瀬織津姫は官により封印されてきたと書かれているのでしょうか?

 

不思議でなりません。

これからは®瀬織津姫や瀬織津姫「登録商標 登録番号○○」としなければならなくなるのでしょうか?

このマークを®瀬織津姫に冠しなければならないことこそ「封印®」そのものでしょう

日本の商標法では、登録商標である旨の表示をするように努めなければならないとされている(73条)。具体的な表示方法は「「登録商標」の文字及びその登録番号又は国際登録の番号」(商標法施行規則第17条)とされており、「登録商標マーク」は法令上規定された表示方法ではない。ウィキより

®瀬織津姫ではなく 瀬織津姫「登録商標 登録番号○○」となるのでしょうか

「登録商標 登録番号○○」と刻印しなければならなくなったのもやはり、封「印」ではないのですか?

 

小野神社はご祭神が天下春命・瀬織津姫に上書きされた

例えば、武蔵一宮小野神社のご祭神は何百年も前から瀬織津姫と天下春命です。

武蔵一宮小野神社の以前のご祭神はアラハバキと櫛真智命です。

 

ご祭神が天下春命・瀬織津姫に変えられて(上書きされて)いるのです。

武蔵小野神社の祭神は瀬織津姫と天下春命に変えられた 丹生都姫と櫛眞智命だった 御嶽神社

 

神奈川県厚木市の小野神社は祭神は天下春命になっていますが、客人神として祀られているアラハバキや春日明神が地主神だそうです。今は摂社にあるアラハバキと春日明神です。

 

小野神社を例にとると

神奈川県厚木市の小野神社 アラハバキや春日明神→天下春命に変えた

武蔵一宮小野神社 丹生都姫・アラハバキ・櫛真智命→瀬織津姫天下春命

 

これは橘奈良麿の変で、奈良麿側についた丹生氏が藤原氏の圧力に屈して、ご祭神を春日明神や丹生都姫から、藤原氏が祝詞に入れた瀬織津姫に変えたと思われます。

小野氏も春日明神が氏神だったのですが、藤原氏に春日大社の土地を取られ、移動し、たたらや水銀錬成・錬金術の名前がついている丹生都姫や、藤原氏の春日大社とダブるため春日明神を祀りにくくなくなりました。

 

公に、「認められている」から、「封印する必要がない」から、瀬織津姫と天下春命に上書きされたのでしょう。

これ一つとっても瀬織津姫は封印なぞされていないという立派な証拠ではありませんか。

 

大祓祝詞に「瀬織津姫」の名が入っていること自体、封印されていないという証拠ではありませんか。

 ご著作に何度も「瀬織津姫が官により封印されてきた」と書かれているのに、ご自身が商標登録という「官」の権力による封印をしてしまった、瀬織津姫を封印しようとしているのは、商標登録された方に他ならないと思います。

 

それに武蔵一宮の小野神社の瀬織津姫の御札は商標登録される前から出されていました。

商標登録の前から存在していた瀬織津姫のお札やお守りを、商標登録の問題がない証拠としてあげることは、疑問です。

 

なぜ違和感を覚えたのか、今にして思えば瀬織津姫の商標登録などということをされていたからでしょうか。

 

どうして先祖が何百年も崇めていた氏神さまの名前使ってはいけないのでしょうか

崇敬者であったご先祖さんたちはわかっていて、怒っているのだと思います。

だから言いようのない違和感を感じたのではと思いました。

 

なぜ他の人達の信仰の対象を商標登録しようと考えられるのか?

他の人達の信仰の対象を商標登録して封印することが「瀬織津姫意識」なんですか?

 

先祖の氏神さまの名前を法律上は瀬織津姫「登録商標 登録番号○○」としなければならなくなったこと

これが悲しいです

瀬織津姫を祭神とする神社で新しく瀬織津姫の名前を冠するものを作って有料で頒布した場合は、「法律上は」商標登録した方の許可をえなければ作れません。

そして新しく発行する御札も瀬織津姫「登録商標 登録番号○○」になってしまうのでしょうか?

法律上はそう「努めないと」いけないことになっています・・・

 

ご著作の「瀬織津姫神話」で販売されている「瀬織津姫の宝箱」を見て喜んだことを書いておられるのに、瀬織津姫の神社に奉納される「瀬織津姫」のラベルには激しくクレームするのは、何を基準にされているのでしょうか?

 

商標登録を取り消されたとして、誰かが商標登録したらと書いておられましたが、今後は信仰の対象、神の名を一切商標登録できないように法律改正する方向に動かれてはいかがですか?

何か団体を立ち上げられたようですし。

有力者ともお知り合いのようですから、政治的に働きかけてはいかがですか?

そちらのほうが®瀬織津姫はお喜びになられるのではないでしょうか?

 

多くの人の信仰の対象を商標登録ないでください

先祖が崇拝していた氏神さまを自由にください。

氏子さんたちの氏神さまを自由にしてください。

瀬織津姫を愛する人に瀬織津姫を返してください。

ご先祖さまの氏神さまを商標にしないでください。

神さまに商標登録という封印をしないでください。

とてもとても悲しいです。

 

<追記>

こちらもご参考に

 

http://sak2-2.tok2.com/home/zhpkfmh/newpage6.htm

 

豊は雷 姫大神は豊姫・丹生都姫・稚日女尊 豊=狗・雷・蛇・ナマズ・雷魚・ウ ナギ・蘿・蔦

貫前神社の姫大神は瀬織津姫ではなく丹生都姫=豊姫=稚日女尊 安曇磯良・あとへのいそらは志賀明神・鹿島明神・春日明神

こちらの記事の続きて゛す。

 

丹生都姫が川上明神で、豊姫、天照大神の妹分の稚日女尊

安曇磯良・あとへのいそらが志賀明神で鹿島明神で、春日大社の春日明神 らしいのですが・・・

 

謡曲に史書では書けないことを託すことは他にも行われていました。

もう少し別の視点から見てみましょう。

例えば、豊姫の豊です。

 

豊は雷 丹生都姫は雷姫

豊には二種類の字がある

『豊(レイ)』li

『豊(豐)(ホウ)』feng だ。

 
豐)(ホウ)』fengは、作物が豊(ゆたか)かな様子を表す形声文字です。正字は、常用漢字体はです。漢字の足し算では、丰丰(穀物を高く盛る)+山(高く)+豆(たかつき))(収穫した作物がたかつきの上に一杯である。豊かである。ゆたか)です。漢字の部首は『豆・まめ』、漢字の意味は『豊(ゆた)か』、『作物がよく実る』、『豊臣(とよとみ)氏』です。
 
 『禮)(レイ)』liは、神様にお供え物をする形声文字です。本字です。漢字の足し算では、示(神様)+(沢山の供え物)=(神様にお供え物をする。禮。レイ)です。漢字の部首は『示・しめすへん』です。
 
)(タイ)』tiは、体の各部分が骨でつながっている様子を表す漢字です。体は簡略字体で、が本字です。漢字の足し算では、骨+豊(きちんと並ぶ)=(体の部分が骨で順につながる。体)です。
 豊をつくりにもつ漢字に鱧「はも」があります。
 

豊=雷=蛇・ナマズ・雷魚・ウナギ・蘿・蔦=狗・・

鱧は、訓読みで「はも」、音読みで「ライ(呉音)」「レイ(漢音)」になります。中国では鱧と表記すると「ライギョ」のことで、中国でハモは海鰻(ハイマン)と表記します。日本でライギョは「雷魚」と表記します。このことから、ハモに「鱧」という字を当てたのは日本で誰かが考えたもの(国訓)と言えます。http://鱧.jp/
雷魚 snakehead 写真はウィキより
らいぎょSnakehead_-_Channa_argus

 
魚と豊かで鱧・ハモ
鱧(ハモ)は中国では雷魚 (写真はウィキより)
ハモMuraenesox_cinereus
鱧はウナギと 同じ、蛇のような形の魚です。
 
日本語も中国語も雷魚はトカゲや蛇に似た魚です。
 

豊=雷=狗=ナマズ・雷魚・ウナギ・蛇・トカゲ

ナマズを現代国語で狗魚といいます。蒲地姫や淀姫と阿蘇のナマズも「狗」龍も狗 参照
細長い魚も狗魚、河狗、鸭鱼 で、「トカゲ魚や”Snakefish”ヘビ魚」と呼ばれるようです。
狗魚も外見はヘビやトカゲに似る
 
このことから
豊=雷=狗=ナマズ・雷魚・ウナギ・蛇・トカゲetc.・・らしいのだ。
 
うなぎやなまずをスネークフィッシュというけど、
雷魚はスネークヘッドで、
蛇=雷 と考えていたのがわかります。
賀茂・鴨と書いて「あは・あひ・あじ・あし」(意味は蛇)と読む
 
雷魚は昔はよく池やら沼にいましたね。
 

豊受アラハバキは神の中の神 大雷神 大龍(蛇)神

豊も受(うけ・うか)も=雷・蛇・葛・狗
 

豊は雷であり、神であり、蛇だった。

そしてお稲荷さんや狼などの尖った口があるものも狗でした。

蒲地姫や淀姫と阿蘇のナマズも「狗」龍も狗

「狗」、「けものへん」と「句」は、瓢箪という意味もあるし

蛇・鴨など首の長い鳥ほそながい魚蜥蜴サンショウウオなど

はもちろん、も細長い口なので「」と言えるかもしれません。

」は細長い生き物やコンパスのような長めの口(嘴)・鼻を持った生き物を意味するようです。

だからキツネ・狼=狗であり、豊=狗=狼・狐の意味もあるので、豊受の眷属が狐でも龍でも蛇でもナマズであってもおかしくないです。
 
豊受=大雷神=大きな雷魚・ナマズ・ウナギ・蛇・蔦など
 
 

 隼人の盾は雷・神・つる草を表す

大雷神は豊受(雷の蛇)
雷の金石文はこうです(金文・甲骨文字はhttp://jiagumima.com/html/jiaguwenzidian_5779 より)
かみなり雷 金文かみなり金文かみなり金文20155269789952343

たいようじゅうじ十字は 天と地、陰と陽、男と女、火と水  などなど、相反するものが交差して、大極のようにペアで宇宙や神を象徴します。

田の元の字です。

それが動くと卍や銀河や台風の目のような「渦・うず」になります。

阿蘇と諏訪と隼人の盾 申は神・女神・つる草  参照

かままんじ

戸隠神社神紋 戸隠神社の犬飼氏も阿多隼人 

 

ぎんが

甲骨文字の「雷」は隼人の盾に似ています。と言うより隼人は「神」を盾に描いて守護を願ったのでしょう。

 かみなり金文20155269393433437  かみなり甲骨文字20155263041913562

 
はやとのたて隼人の盾隼人の盾のほうが、神のより古い表現だと思いませんか?
唐草文様など、伸びていくつる草・繁栄も意味しています。
 
 
一脉相承之汉字 http://tweets.seraph.me/search/%E4%B8%80%E8%84%89%E7%9B%B8%E6%89%BF%E4%B9%8B%E6%B1%89%E5%AD%97?page=2
 
かみなり中国  かみなり雷古字
 

貫前神社の雷窓と豊姫こと丹生都比賣大神・稚日女尊稚日女尊

それで、豊=雷なので、貫前神社の雷窓は豊姫(=雷)=丹生都比賣大神(にうつひめ)別名が稚日女尊稚日女尊に関係がある窓かもしれません。
 
姫大神は丹生都姫でしょう
 
まだ続きます 
 
 
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yob07.txt
半魚文庫、謡曲三百五十番集入力による
香椎 
この二つの玉を奉りけり。曲「干珠といふは白き玉。満珠といふは青き玉。豊
姫と右大臣に持たせ参らせて。三日と申すに龍宮を出で。皇后に参らせさせ給ひ
けり。かの豊姫と申すは。川上の明神の御事。あとへのいそらと申すは。筑前の
国にては。志賀の島の明神。常陸の国にては鹿島の大明神。大和の国にては春日
の大明神。一体分身同体異名現れて。御代を守り給へり。その後皇后は。仲哀天
皇の御笏を。忝くも取出し。かす井の浜にある。椎の木の三枝に。置き奉り給
ひしに。シテ「この香椎の香ばしき事。諸方に充ち/\て。ぎやくふうにも薫ずな
る。ゑんしやう樹にも異らず。偖こそこの浦もとはかす井と言ひけるを。香ばしき
椎の字に。書き改めて今までも。香椎の浦風の治まる御代となるとかや。ワキ「不思
議やか様に語り給ふ。御身は如何なる人やらん。シテ「今は何をかつゝむべき。
我 は尋常の海神ならず。いで/\名宣りて
聞かせ申さん。ツレ女「我はこれ。神功皇后 の妹。川上の明神豊姫。シテ「我はまた。
滄海の使。磯の童とも云はれし海神な り。唯今現れよる波の。たつの都より来り
たり。昔神功皇后の。この海上の舞歌の 曲。こよひの月にあらはし。都の人に見
せ申さんと。いふ波の川上に。豊姫は帰 り給へば。磯の童は磯の波に。立ちかく
れ失せにけり。波立ち隠れ失せにけり。 天女「滄海の。そこともいさや白波の。た
つの都の秋久し。西の海。檍が原の波間 より。現れ出でし住吉鹿島香取志賀の島。
何れも/\影向なりて。満干の玉を待ち 給ふに。などや遅きぞ磯の童よ。急げや
/\沖津風。シテ「白玉か。何ぞと人の問 ふやらん。光を見ても知れや知れ。すは
すはすでに波間より。/\。天女「光さしでの磯の童は。地「人の願は満干の玉の。
折からなれや明暮の。