瀬織津姫は隼人 日下部吉見神社の日下部氏
隼人の日下部吉見の蒲池比咩の別名も瀬織津姫だそうです。
http://dostoev.exblog.jp/i199/
こちらのサイトを拝読すると、「日」を奉じる氏族の日下部吉見神社の日下部氏の家紋は日足紋から揃鷹羽紋に改めたそうです。
日足紋 揃鷹羽紋
瀬織津姫の阿多隼人の蒲地姫
阿蘇津姫が日下部吉見から嫁いだ蒲池比咩(かまちひめ)が瀬織津姫であったことを知りました。
阿蘇国造神社は斬られて逃げてきた「鯰」を祀ったとされる。阿蘇国造神社には速瓶玉命や阿蘇津姫が祀られている。
なまずは蒲地姫のトーテムだ。
日下部吉見神社の境内には御塩井という湧き水があり、一度も涸れることがなかったといわれているそうですが、桜井神社にもお潮井があったから繋がっているのでしょうね。
筑前糸島の桜井神社 お潮井
お潮井
縣犬飼三千代は阿多隼人で、養い子が草壁皇子でしたから、日下部吉見に因んで「くさかべ」とつけたのじゃないかと思っています。
宇佐神宮の伝承では夫の建磐龍を殺されて、蒲地姫は阿蘇に逃げて、故郷に戻ることができなかったそうです。
このへんは良く知らないのですが建磐龍が速瓶玉命で、速瓶玉命が殺されて建磐龍に名前をとられたということになるのでしょうか?違っていたらごめんなさい
阿蘇津姫は雨宮媛命、丹生川上神社の元宮、大和神社も雨師明神として丹生都姫が祀られています。
丹生都姫も後世、律令制ののち、農業用の水の女神瀬織津姫とされました。
橘氏のご先祖さま瀬織津姫とも呼ばれた蒲池比咩の故郷にも行ってみたいです。
蒲池比咩=與止日女(よどひめ)
菊池氏の主流である日下部氏が奉祭する阿蘇の母神の蒲池比咩(かまちひめ)は肥前国一宮である川上神社に祀られる與止日女(よどひめ)と習合しています。
筑前糸島の桜井神社(與止日女宮)で川上の與止日女は瀬織津比咩と同神とされています。
http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/be756fc0c56327efea49e594babb558e
国造神社は阿蘇神社の元宮であり、本来は阿蘇の神々の母と呼ばれる地祇神「蒲池媛」を祀るといわれる。
「蒲池媛」は八代海、宇城の地より阿蘇に入り、速瓶玉命に嫁いだとされる。小国の出自である速瓶玉命の妃、雨宮媛とは別人のようだ。
この「蒲池媛」は神功皇后の三韓征伐に従ったという。蒲池媛は「満珠干珠の玉」で潮の満ち引きを操り、皇后軍を勝利に導いたとする。蒲池媛も海人の血をひく。
そして「満珠」は蒲池媛を祀った宇土の郡浦神社に、「干珠」は阿蘇外輪の草部吉見神社に祀られたという。また阿蘇家文書には満珠干珠は阿蘇山の玉嶽に納める。とも見える。
阿蘇津姫も蒲地姫も世襲の姫巫女のようです。
蒲池比咩=與止日女=瀬織津比咩
「蒲池媛」は神功皇后の三韓征伐に従ったとされる
これも世襲の何代目かの「蒲地姫」が神宮皇后に従ったのでしょう。
そして神功皇后の三韓征伐に従った「蒲池媛」は川上(河上)神社の川上明神とされます。
與止日女=豊姫=川上(河上)神社の川上明神
紀州の丹生川上神社の元々の祭神川上明神は謡曲「香椎」に出てくる天照大神の妹分の豊姫です
豪族丹生氏が神宮皇后を援助したため、丹生氏の祖の丹生都姫が神宮皇后に従った話になっています。
豊は雷 姫大神は豊姫・丹生都姫・稚日女尊 豊=狗・雷・蛇・ナマズ・雷魚・ウナギ・蘿・蔦 参照
かの豊姫と申すは。川上の明神の御事。(略)我はこれ。神功皇后 の妹。川上の明神豊姫。
とあります。
そして、戦勝後、丹生都姫を天津神に格上げし、天照大神の妹分ということで、丹生都姫の神領は安堵されます。
それを高らかに祝詞したのが「丹生大明神告門」です。
丹生大明神告門(ニフタイミヤウシンノノリト)
大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、 申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、 天の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、 丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、 下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、 下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、・・・ 、
「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心してその地方を開拓されたという意味だそうです。
天の御蔭というのは、大王以前の王の称号です。
持統天皇と不比等が隠したかったのは、瀬織津姫ではなく、丹生都姫の存在ではないでしょうか。
その証拠に丹生川上神社もおかみ神に祭神が代わっており、武蔵一宮の小野神社でも丹生都姫から瀬織津姫に祭神が変更されています。
九州の「河上神社文書」にも與止日女は「豊姫」神功皇后の妹分
http://trakl.exblog.jp/17871187
與止日女は肥前国風土記に「川上に石神があり、名を世田姫という。海の神、鰐魚が流れに逆らって上りきてこの神のところに到るに、海の小魚もしたがって来る。」とある世田姫(よたひめ)と呼ばれる海神。
與止日女はまた「豊姫」とも呼ばれ、神功皇后の妹ともされる。豊姫は前述の「豊玉姫」に通じる。
「河上神社文書」に「神功皇后が戦さに備え男装する際、龍女の厳島大明神と宗像大明神が顕われ、それに続いて皇后の妹、河上神社の豊姫が顕われ、皇后の祈祷を助けた。」と記される。
淀姫神社 http://www.genbu.net/saijin/yorozuhata.htm
よどひめじんじゃ
佐賀県伊万里市大川町大川野1973
御祭神
與止日女命 建御名方命 菅原道真公
合祀 外十五柱 (明治四十二年合祀)
http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/a22e7aa3f3c375fe6518a5e044641dc4
與止日女は神功皇后の妹神「豊姫」ともされた。
この與止日女は筑前、那珂川の守り神ともされる。與止日女は、旧筑紫郡岩戸村の那珂川畔で「伏見神社」の祭神、「淀姫命」として祀られ、ここでは、大阪夏の陣や島原の乱、日清戦争、日露戦争などの折に「鯰神」が現れたという。この那珂川の鯰神は神功皇后三韓征伐の折、群をなして船を抱き、水先案内として戦勝に導いたとされる。
蒲地姫などのトーテムのナマズは淀姫のトーテムですが、鯰=狗魚としてみたとき、狗とは細長いものも含み、鯰・ウナギ・蛇・蜥蜴・葦なども含みます。細長い船も「狗」と言えます。
「鯰神が群をなして船を抱き、水先案内として戦勝に導いた」というのは、隼人がカヌーのような細長い船で母船を護送していったということではないでしょうか?
丹生氏の水銀朱を防腐剤をかねて船に塗ったそうです。
生田神社の稚日女尊(わかひるめのみこと)も丹生都姫
生田神社の稚日女尊(わかひるめのみこと)も丹生都姫です。
神宮皇后に従った功績で丹生氏の丹生都姫が天照大神の妹分ということで、天津神に昇格されました。
妹分ということで、「稚日女」です。
稚日女尊 – Wikipedia
丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。
豊姫は神宮皇后を助けた丹生氏の祖、丹生都姫ですので、
蒲池比咩=與止日女=豊姫(川上明神・丹生都姫)=瀬織津比咩 という図式が成り立ちます。
長い時をかけて、あちこちの母なる女神が合体していったという感じです。
決して、何でもかんでも瀬織津姫というわけではありません。
橘氏祖の縣犬飼三千代も阿多隼人だとにらんでいます。
理由は養い子の草壁皇子 の草壁です。草壁も日下部です。
檀林皇后の梅宮神社は、阿多隼人のこのはなさくや姫と酒解神を祀ります。酒解はおおやまつみとされています。
自分の先祖を祀りますので、縣犬飼三千代も阿多隼人だと思います。
<追記>
犬飼氏や縣犬飼氏は神魂命の子孫で、手力男を祖神として祀っていますので、天御中主・神魂命・手力男の系統のようです。
高木神・タカミムスビの系統は日下氏とつながるのでしょうか? まだわかりませんが・・・
楠木正成も橘氏ですが、後醍醐天皇から菊花紋を賜る前にも日下部吉見氏の紋または十六菊花紋を使用していたと思われます。
皇室の紋は菊花紋ではありませんが、後鳥羽上皇がお気に入りなことから、皇室で好んで使われるようになったそうです。
ですので、楠木正成は遠慮したのだと思います。
日下部吉見氏 日足紋 十六菊花紋
楠木正成が建立した建水分神社は金剛山鎮守、金剛山といえば、高野山を空海に譲った丹生都姫と高野明神の領地でした。
空海が犬を連れた高野明神(犬飼明神・狩場明神)に出会ったのは犬飼です。奈良縣五條市犬飼町だそうです。
丹生川上神社中社の下流の牧で大切に飼われてました。この辺だと運転手さんが教えてくれました。
でも山の中で稲も育たない、飼い葉がないので、朝廷に馬の代わりに絵馬にしてくださいと頼んだそうです。
それが絵馬の起源だとおっしゃってました。
犬を飼っていたのは丹生都姫(のちの瀬織津姫)の一族ということになります。
もしかしたら、犬飼明神(大名草彦・狩場明神)が犬を連れていたのは、雨乞いか晴れ乞い(?)で丹生都姫に奉納するためだったかもしれません。
丹生都姫 犬飼明神(大名草彦・狩場明神)
馬を山中で飼うのは飼い葉がなくて大変で牧が必要ですが、犬でしたら鉱物を探すのに役立つので、鉱物の女神に犬を奉納するところか、鉱物探索の最中だったのかもしれません。あるいは、狩りの途中だったのかもしれません。
犬飼明神は瀬織津姫の息子(子孫)
犬飼明神は狩場明神・大名草彦とも言います。丹生都姫の息子(子孫)です。
縣犬飼三千代の血を引く橘氏の楠木正成が瀬織津姫を祀る建水分神社を建立し、氏神様の瀬織津姫を祀ったのは当然です。(もとは丹生都姫だと思いますが・・)
菅原道真公も十六菊花紋を使用しており、これも本来の水神を祀る社が祭神を菅原道真公に変えたためと言われています。

そして楠木正成は菊流れにした。
瀬織津姫は封印されていたは間違い 勅許で祀られていた
楠木正成は勅許を受けて建水分神社を建立し、祭神の一柱が瀬織津姫です。
勅許です。
瀬織津姫は官によって封印されていたは間違いです。
橘氏の楠木正成が建立したのも建水分神社です。

瀬織津姫が「官により封印」されていたとしたら「勅許」ということがありますか?
むしろ律令国家の礎の農業の水の神として瀬織津姫を大事にしたから、
公に認めていたから、「勅許」で建立されたのではないですか?
瀬織津姫と習合した丹生都姫の丹生川上神社の元宮、大和神社の神紋は橘氏と同じ橘です。
鉱物と水の女神丹生都姫やアラハバキが瀬織津姫に上書きされることはあっても、水の女神を封印しても何の得にもなりません。
現に武蔵一宮の小野神社は祭神が丹生都姫・アラハバキから瀬織津姫に代わっています。
瀬織津姫の名は記紀成立後にクローズアップされた
記紀に瀬織津姫の名がないのは記紀成立後にクローズアップされたからです。
記紀は天武天皇のときに編纂が開始されました。
持統天皇と不比等によって律令国家造りが進められ、律令国家の礎として農業の水の神として瀬織津姫はクローズアップされました。丹生都姫は丹生氏の勢力をそぐためと、鉱業は農業の水を汚すため、丹生都姫から瀬織津姫やおかみ神に祭神の上書きがされていきました。
記紀に瀬織津姫の名がないのは瀬織津姫が流行する前に記紀が編纂されたからでしょう。
それを以て瀬織津姫は封印されていたとするのは間違いだと思います。
岐阜の野宮神社
野宮神社の主神は「壇林皇后」で、「速開津比売神、瀬織津比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神」という祓戸四柱神を「合祀」したとされます
野宮神社(岐阜市近島829-1)
「野宮神社は、隣りの集落に鎮座する葛懸[かつらがけ]神社(縣大明神)の「禊祭り」のとき、集落の境界までですが、必ず挨拶をしにこられる社でもあります。葛懸神社は美濃市の洲原神社(洲原白山神社)の分社といった古伝承もあり、野宮神社(祭神)は白山信仰とも縁があるようです(菊池展明『円空と瀬織津姫』上巻)。」
こちらは橘奈良麿の変に連座して排斥された藤原豊成公の娘中将姫と関わりの深い神社です。
瀬織津姫フリークの方は檀林皇后に上書きされたとおっしゃる方もいらっしゃいますが、フリークの方の説では瀬織津姫は饒速日の妃(これも違うと思いますが)ですよね?
お話では王と皇妃という設定ですよね?
皇妃が瀬織津姫〇〇子設定ではなかったのですか?
橘氏という海人族の血が入った后は認められないのなら、瀬織津姫〇〇子も后ではあり得ないですね。
瀬織津姫を祀る神社で、瀬織津姫を祖神とする橘氏の檀林皇后が 合祀されているのは不思議なのでしょうか?
丹生都姫は雨師明神、タカオカミ
瀬織津姫の神紋の一つも橘ではないですか?
それでもまだ犬が蛇を封印したと言いますか?
橘は男系で、天皇家の方かもしれません。
日足紋や菊花紋は日下部吉見系ですから、阿多隼人の縣犬飼氏だと思います。
でも海神族なので鯰(狗魚)がトーテムです。まだこのあたりのことはよくわからないです。
日本大国魂大神
神紋 橘
摂社 増御子神社「猿田彦命、天鈿女命」
摂社 朝日神社「朝日豊明姫」
摂社 タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とする。
遠野の倭文神社 (天照皇大神 下照姫命 瀬織津姫命) も橘氏が建立したのではないですが?
五日市館主橘家の守護として、 文殊菩薩を勧請崇敬せり。慶長年 間(西暦一五九六年)鱒澤氏の反軍に 敗れ修験道に帰依、・・・
田心姫(宗像三女神) 神紋 橘
瀬織津姫は多岐津姫・田心姫たごりつひめのみこと
東北と出雲弁で瀧姫・瀧織姫をよむとそうなるんですね
瀧織津姫(たきおり→たごり)=田心姫命(たごりつひめのみこと)
瀧津姫(たきつ→たぎつ) = 湍津姫命・多岐津姫(たぎつひめのみこと)
みんな瀧(織)津姫=瀬織津姫のことです。
東北と出雲弁で瀧姫・瀧織姫をよむとたごり
瀬織津姫は封印されていない★多岐津姫・田心姫(宗像三女神)・イシュタル・ハルキ神・アラハバキ 「瀧」の字がない時代に滝の意味である「瀬織」の字が当てられたのなら、
川折津姫(しょうりつ)=瀧(織)津姫で、
たきおりつ、たごりつ姫、たぎつ姫ですよね・・・瀧織津姫=田心姫命(たごりつひめのみこと)、
瀧津姫 = 湍津姫命・多岐津姫(たぎつひめのみこと)同じですねーなんだ、あっさり・・・・・
アイヌ語でショウリ=川折=瀧(織)のよみを、
大和言葉で「たきおり」とよんで、それがつまって、「たごり」と「たぎ」
そういえば、今も東北では、濁音が入るんですよ ね
「たき」が「たぎ」、「たきおり」が「たごり」
田心姫(宗像三女神) 神紋 橘
瀬織津姫は多岐津姫・田心姫
昔々から、私達、多くの人の氏神であった瀬織津姫(丹生都姫・蒲地姫・淀姫・・)
昔から瀬織津姫は封印なんてされていません。
瀬織津姫は「勅許」という官のバックアップで世に広められているのに、犬が蛇を封印しただの、スピの人にはついていけません。
相模と武蔵の小野神社では、アラハバキや丹生都姫に瀬織津姫が上書きされています。
それからすると、支配者は瀬織津姫を広めようとしていたのに、商標登録という「官の力」で瀬織津姫を®の印をつけ、封印するのは、どんな意味があるのでしょうか? 不思議です。