この記事は別のブログに載せていたのですが、こちらに転載しておきます。
2013年07月25日にUPしたもの
天河弁財天にはまるきっかけは真清田神社だったのでした。
真澄の鏡を真清田神社で
自分の体験を書き留めておこうと、書いてます。
小さい頃、矯正をしていて、歯医者さんに通ってました。
歯医者さんに行ったら、近くの尾張一宮、真澄田神社にお詣りしてました。
といっても、願い事を言っては、子供なので、ポンはぜ(お米を煎ったお菓子)買っては、鳩に餌をやるのがお詣りでした。
大人になってから、真澄田神社は火明命(ニギハヤヒ命)を祀っていると知りました。
ニギハヤヒ命が大好きでした。
結婚した時に、地元に帰ったら、氏神様に報告したいな、とふと思った夜に夢を見ました。
夢で真澄田神社に昇殿参拝してました。
声がして、「『真澄の鏡』を与えよう」と言われました。
声の主はとても喜んでくれているのが気配で分かりました。姿は見えません。
装飾のついた金色の大きな鏡を頂きました。
声の主(神様?)大きいので、鞄に入りません、と言うと、鏡はスルスルと小さく、透明になって、私はそれを持ち帰りました。
夢から覚めて、夢だけど、プレゼント頂いたのだから、実家に帰ったら、お礼のお参りをしようと思いました。
帰省時に、妹の車に乗せてもらって、夕方、真澄田神社に着きました。
お参りを終え、帰ろうとすると、ステッキに帽子のご老人に声をかけられました。
いでたちが亡くなった祖父にそっくりでしたので、懐かしい気がしました。
「お若いのにご熱心なことで。」
ご老人は親しげに声をかけてこられました。
「ここはねえ、ウチのご先祖さまを祀ってるんだよ。ウチはね~、天皇家より古いんだよ、知ってたあ?
ウチの家系図は国宝なんだよ。
ここはね、御垣内に入るのと、昇殿参拝は皇族とウチの一族しか出来ないんだよ。…」
お話は尽きません。ニギハヤヒ命の子孫の方かな?
国宝海部氏系図もテレビで見たので覚えてました。
妹を待たせていたので、もう帰りますと挨拶をして、別れました。
後で天橋立、籠神社の海部光彦宮司様と分かりました。
籠神社にお詣りした時に、神職の方にお尋ねしたところ、その時、旅行で真澄田神社に行かれたそうです。
「話し始めると長いです。」ともおっしゃってました。
お礼に行ったら、神様の子孫の方にお会いした。
不思議だなあ、と思っていると、また夢を見ました。
オレンジ色に金色が入った錦のとばりが見えて、
「早く天川に来い」と言われました。
ちょっと乱暴だなあ、でも切羽詰まってるみたいです。
天川はその頃、精神世界の六本木と言われていて、YMOの細野晴臣さんらが参拝されてました。
本や新聞で天河は知ってましたが、ご縁のある人しか来られないとも聞いてました。
それはどうかともかく、同じ職場の女性と行くことにしました。
初めての天河大弁財天社
その頃、天川には民宿しか無かったので、一晩目は柿坂さん、二晩目は今西さんに泊まることにした。
その頃は天川に行くバスが日に3本しか無かったので、吉野の下市口から、タクシーで天川に行った。
タクシーの運転手さんは柿坂宮司様の同級生で、宮司様が中高生の頃、鬼の子孫だといじめられて「ゴンタ」になったこと、外国に行ってヒッピーをしていたこと、先代の宮司様が亡くなって、宮司になると引き受けられたことなど伺った。
天川に着いた時、ちょうど神社の前に宮司様がいらっしゃったので、運転手さんは紹介して下さり、ご挨拶した。
その日は、旧暦の9月9日だった。
「あんたたち、いい日に来たなあ」と菊の節句をするのでと、参加を勧めて下さった。
太陽暦では10月なので、薄いコートを羽織っても肌寒い。
神社では重陽の節句(菊の節句)の御神事が行われた。
参拝者全員が参加でき、なおらいには菊の花びらを散らしたお神酒を頂いた。
その晩、大阪からの男性二人に、社務所で話をするので、あんたたちもどうだ?と誘って下さった。
喜んで伺うことにした。
その夜は主に、フトマニの五十音図のお話で、一音一音が神様を表していること、これから出て来られる神様は泡抹の神(あわの神)であること。…
その頃はバブル直前で、何の話か理解できませんでしたが、その後、バブルになり、時代を読んでおられたようでした。
何かのひょうしに、アカシックレコードの言葉をだしたら「アカシックレコードとは何か?」と聞かれたので、「宇宙全ての情報を記憶している阿羅揶識みたいなものだと思います。」(もちろん釈迦に説法みたいなものです)と答えると、急に
「今、神託が降りた。あんた、星から声かけられるよ」
???? 夜空の星かしらん?
天河弁財天は星信仰
古い神社では、星を御祭神としているそうです。
天河神社には隕石がある。
天河神社は太陽信仰の前の、古い星信仰で、祭神が「星」であると後から知りました。
星から声をかけられるということは、神様から声かけられる、ということだったのです。(つづく)