武蔵御嶽神社は以前一度いったことがあります。 修験道の山で、狼さんが御眷属のところです。 (武蔵御嶽神社の部分を独立させて記事にしました。) こんな雰囲気です。
行ったときは何年か前で、まだこのブログを書いていない頃で、あまり写真を撮ってませんので、ごめんなさい
武蔵御嶽神社
写真のキャプチャを見ると2012年に行ったようです。肝心の櫛真智命の社殿は撮ってません。 武蔵御嶽神社 主祭神:櫛真智命 相殿・大己貴命・少彦名命・廣國押武金日命(安閑天皇) 奥宮・日本武尊 御眷族大口真神
太占(ふとまに) 牡鹿(おじか)の肩甲骨を波波迦(ははか)(カニワザクラ、カバザクラ、カンバなど上溝桜(うわみずざくら)の古名)の樹皮を炭火にしたもので焼き、その町形( まちがた、骨の表面の割れ目の模様))によって占う(『古事記』天岩屋戸段)。鹿の骨を用いることから鹿占(しかうら)とも称される。「ふと」は美称 現在でも東京都の武蔵御嶽神社、群馬県の貫前神社で行われている。ウィキより
狼さんがぴかんと 狼さんばかり撮ってました・・。
こちらが大口真神のお社のようです。あまり覚えてません・・・
http://www.y-tohara.com/nara-kaguyama 天香山坐櫛眞命神社(元名大麻等乃知神) 古事記(天岩屋戸段) (アマテラスが天岩屋戸に籠もったとき)天香山の雄鹿の肩骨を抜き取り、天香山の波波迦(ハハカ)の樹皮を以て鹿の骨を灼いて占い、神意を伺わせ、また、天香山の枝葉の繁った榊を根ごと掘り起こして来て、云々(大意) 書紀(天岩屋戸段) アメノコヤネ命とフトタマ命が、天香山の榊を掘りとり、枝に珠や鏡・幣帛などを掛けて、皆で祈祷した。・・・またアメノウズメ命が、天香山の榊を髪飾りとして・・・神懸かりとなったように喋り踊った(大意) 書紀(神武即位前紀) 多くの敵に大和への道を阻まれた神武が、天神(アマツカミ)の夢告によって、ひそかに椎根津彦(シイネツヒコ)・弟猾(オトウカシ)を遣わして天香山の社の土(埴土)を取ってこさせ、その土で多くの平瓮(ヒラカ・祭祀用土器)を作り天神地祇を祀ることで、賊を平定することができた(大意) 書紀(崇神紀10年条) 反乱を企てた武埴安彦の妻・吾田媛(アタヒメ)がこっそりやってきて、天香山の土をとって「是は倭国の物実(モノシロ)なり」と助言して帰った(大意) 式内・天香山坐櫛眞神社は天香久山北麓にある天香山神社とするのが一般だが、山頂にある国常立神社との説もある。 「麻知(マチ)--鹿卜や亀卜で、鹿の肩胛骨や亀甲の裏に縦横の線を彫っておくのを麻知形(マチガタ)といい、これを火で灼いて現れた兆を麻知(マチ)という。即ち前兆・予兆
櫛真智命が渡しの神とされるのは、「衝き立つクナトの神」と同一視されていたからでしょうか?
こちらの神社は本当は山を拝む遥拝所だったとか。 天児屋根命と天香語山がでてきました。
とこのあたりも伏せんにして、まだまだ続きます。 こちらもどうぞ 丹生川上神社 中社参拝 三日女神は天津甕姫か? 三日比売は丹生都姫 豊雲野大神は・・丹生川上神社は大和にあった