武蔵一宮の小野神社の門客神として、アラハバキが祀られていた。名前は出されていません。
客人神として随身門となっていました。
今は瀬織津姫に変わってしまったけど、朱塗りのお社には丹生都姫が感じられました。そのあたりの事情はこちらをどうぞ。
武蔵小野神社の祭神は丹生都姫と櫛眞智命から天下春命と瀬織津姫へ
加えて、百済系の桓武天皇となって後は、蝦夷調伏のために、瀬織津姫に変えたということもあるかもしれません。アラハバキも瀬織津姫もその力を利用されたようです。
相模の小野神社は現在は摂社として、アラハバキや春日明神が祀られている。
やはり水と鉱物の神のようです。
横浜市内にもアラハバキが祀られているという。
横浜市内のアラハバキはここだけとか。
出かけてみました。それが、地図をメモしたのを忘れてしまって、あちこちで道を尋ねながら、ぐるぐる回ってしまいました。それで長い旅??となってしまいました。
ぐるぐるしている途中で神明社を見つけました。
神明社 横浜市栄区公田町445-6
あとから神社庁のサイトで祭神を見てみたら、不思議な神様の取合せでした。
天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
建御名方神 ( たけみなかたのかみ )
菅原道真公 ( すがわらのみちざねこう )
鎌倉権五郎景政公 ( かまくらごんごろうかげまさこう )
梵天神 ( ぼんてんしん) 神社庁のサイトより
この神社のある山に昇ってくる途中に、梵天供養塔がありました。
梵天はどなたかをたとえたのでしょうか? 出羽三山供養を梵天というらしいですが、よくわかりません。
鎌倉も近いことですし。
そして祭神にははいっていないのですが、その背後には国常立命の碑と側面にはおしゃもじ神さまがいらっしゃいました。
おしゃもじといえば、ミシャグチ神などを連想いたします。
一体、おしゃもじさまはどなたを守護なさっているのでしょうか?


















お茶碗もあり、おしゃもじさまでご飯を・・・
おしゃもじさまは、出雲系なのでしょうか。
そしてお社右後方には国常立尊御嶽大神と。国常立尊と御嶽大神は同神のようです。
武蔵御嶽神社と小野神社近くの御嶽神社の祭神はというと、櫛真智命です。
ということは
国常立尊=御嶽大神でそれを祀る人が櫛真智命、もしくは櫛真智命と国常立尊が同化したというところでしょうか?
王滝御嶽神社(おうたきおんたけじんじゃ)
天明2年(1782年)に覚明行者が木曽御嶽山黒沢口登山道を、寛政4年(1792年)に普寛行者が木曽御嶽山王滝口登山道をそれぞれ開き、講社を作り軽精進潔斎による木曽御嶽山登山を奨励したことにより、御嶽講(山岳信仰・講)が全国に広まり、今日に至り、御嶽教の信者が参拝を欠かさない。
そういえば、覚明行者と普寛行者の碑がその脇にありました。御嶽講の記念碑のようです。

円海山でしたら近くの港南台あたりの山です。たしか横浜で一番高い山だったような。
円海山ではなく、八海山神社ですか・・
三笠山神社、八海山神社も御嶽にあるようです。
三笠山神社(みかさやまじんじゃ)七合目、三笠山頂上にあり、祭神は豊斟停尊(とよくむぬのみこと)。
八海山神社(はっかいさんじんじゃ)五合目にあり、祭神は国狭槌尊(くにさつちのみこと)。 ウィキより
御笠山は春日山の別名のようです。
豊斟停尊は春日の比売神のことなのでしょうか。
豊斟停尊は大陸から輸入された「おかみ」と名を変えて天香語山の国常立尊の傍らにいます。
天香語山のおかみの傍らに甕が埋まっています。おかみは水と鉱物の丹生都姫の名前がかえられたものですから、
豊斟停尊=おかみ(雨師明神)=丹生都姫(アラハバキ)=三日(甕)姫
ということになります。
国常立尊の傍らには楠木が
海神族の船の材料です。海神族は川を船で遡り、鉱物を船で運びました。
楠木は海神族のシンボルの樹です。 アラハバキさまでしょう

この近くの鍛冶ヶ谷町の通称アラハバキというところにアラハバキさまはいるという。
この後、私は迷子になってぐるぐるしてしまうのですが・・・
続きは アラハバキ 鍛冶ヶ谷町 アラハバキへの道2 です