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水の系譜 狗の系譜にようこそ
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「狗」とは?
きっかけは「狗」魚、つまり「鯰」からだったんです。 九州はじめ日本中に「ナマズ」をトーテムとする氏族が存在します。 蒲地姫、淀姫・・・ ナマズも「狗」であったのです みな「狗」をトーテムとする系譜だったんです。
歴史から消されてきた人達の系譜が「狗」の系譜だったんです。 縄文時代から元々日本にいた「狗」の系譜は、支配層となった漢民族や朝鮮半島の人達が生贄にしてきた「犬」にすり替えられ、元々いた人達の歴史も消され、低きもの「犬」と蔑まれ続けているのではないか? と思ったんです 「犬」ではなく 「狗」の系譜 だったんです。 丹生都姫、織姫、蒲地姫、淀姫、市杵嶋姫・・・水の系譜の姫たちです。 「狗」と呼ばれてきた氏族こそが これらの姫たちの氏族だったのです。 今まで、「狗」とされてきた 鬼、天狗、河童・海童、山姥、蝦夷なと゛なと゛ 虐げられてきた人達 古代史のブログを書き始めたのは、自分の先祖のことが調べてもわからない、古代の部族を調べようにも、歴史がわからなくされていたために、知りたいと思ったからです。 橘氏はともかく(といっても橘氏もよくわからない一族ですが)、橘氏の母系の祖である縣犬飼三千代や縣犬飼氏についての資料はごくわずかです。 縣犬飼三千代は藤原不比等の妻となった女性なのに、どうして資料もあまりないのか? 中国・朝鮮半島の系譜はどうして日本人を「犬」と蔑むのか? 本来の日本人・縄文人の系譜こそが「狗」だからではないか? まだまだ調べている段階で、私も理解不足ですが、わかってきたことから書いていく予定です。 「犬」と「狗」の部族は元々は別のものをさすようです。
「狗」はアラハバキ・丹生都姫・蒲地姫・淀姫・市杵嶋姫の系譜のこと
「狗」はアラハバキ・丹生都姫・蒲地姫・淀姫・市杵嶋姫の系譜のことです。 征服した側が「犬」を低いものと考えていたので、漢字表記で「狗」の氏族を「犬」としてしまったのではないでょうか? もしくは歴史を隠すために漢字表記で意図的に狗を犬としたとか
天狗は星 鬼も星
天津甕星の一族の橘氏の祖縣犬飼三千代の祖、縣犬飼氏や犬飼氏、海犬養氏などなど。 なぜ海に犬がいるのか? なぜ縣犬飼氏は彦星の一族か? 今までの過去記事で書いてきました。現在は整理中です。 犬と海はあまり関係がなさそうなのに、なぜ犬が? と思った事から調べました。 犬ではなく、縄文の「狗」であったのです。
天津甕星と天津甕姫、織姫と彦星も狗
「鯰」は国字です。日本で作られた文字なのです。 ナマズは中国語で「狗魚」です。
ナマズも龍も狗 狗は龍・蛇・蔦・ナマズ・・
「狗」というと犬を連想してしまいますが、実はもっと範囲が広いのです。 「狗」とは、蔦・蛇・ウナギ・ナマズ・雷魚・葦・槍・矢・龍・龍骨・カヌー・船などなど 歴史から消されてきた人達の系譜が「狗」の系譜だったんです。 「犬」ではなく 「狗」の系譜 だったんです。 犬飼氏たち阿多隼人を辿っていったら、意外なことがわかってきました。 この龍も「狗」です。
アラハバキや丹生都姫 「狗」の系譜 中国・朝鮮半島の系譜はどうして日本人を「犬」と蔑み続けるのか? 本来の日本人・縄文人こそが「狗」の系譜だからではないか? 漢民族に中国を追われた、縄文時代からいる蚩尤民族もまた「狗の一族」 尾張は扶桑国?東之宮古墳の銅鏡は蚩尤と女媧と伏羲 参照 愛知県犬山市の東之宮古墳の三角縁神獣鏡鏡には蚩尤と女媧と伏義の姿があります。 蚩尤民族が古墳時代には日本にいた証しだと考えています。角のある像、これは蚩尤・炎帝であり、牛頭天皇に思えます。服装が蓑を纏っているように見えます
神話での素戔嗚が天下ったときの服装です。
他にも「鬼」と呼ばれた人がいます。それは・・・吉野の井光姫の子孫の人達です。
聖徳太子のお母さんも「鬼前の后」です。
そして生命樹の簡略版のような樹があります。三星堆の青銅神樹の簡略版でしょうか
住吉の松に似ています。住吉の松といえば阿蘇、阿蘇と言えば、日下部吉見神、どちらも阿多隼人に関係します。
龍脈の上の白いベールのアラハバキもイメージとしては白衣騎龍観音のような姿でしょうか? 愛知県大縣神社のお祭りでは、アラハバキのは白いベールを被ります。おしらさまです。 アラハバキは聖母マリアとイメージが共通します。 聖母マリアは「蛇」を抑え込んでいます。狗=蛇・ウナギ・鯰で龍脈ならアラハバキの原イメージは聖母マリアでしょう。 瀬織津姫の語源が「ショウリ・川(瀬)折」=アイヌ語の瀧なら、白い瀧と白衣観音で、イメージとしては白衣観音です。瀬織津姫と書いて、「しょうりつ姫」と読ませる神社もあることから、瀧姫をアイヌ語でしょうりつ姫と呼んでいたのが語源だという説もあります。 脊振でも龍が身体を振る、龍脈を震わすイメージです。だから弁天さんは脊振山にいたのでしょう。追われて吉野に移動したようですが アラハバキもかぐや姫も、龍脈を渡り歩く一族のようです。淀姫もそのようです。 これは龍脈=「狗」を抑え込んでいる図ともとれます。 西洋ではドラゴンを抑えるミカエルです。聖母マリアの像も同じものを象徴しているのでしょう。
「犬養」は、「狗」飼で鉱脈を渡り歩く人や、治水工事が得意だったり、鉱物を採取するために龍脈にいる人達かも・・・・ 丹生都姫の丹生氏や犬飼氏などは「犬」トーテムか、阿多「隼」人なので、鳥トーテムかと思ってましたが、「狗」がそんなに広い意味を持つとは思いませんでした。 丹生都姫と息子の大名草彦 丹生都姫の丹生川上神社 丹生都姫・アラハバキから中国から輸入された「おかみ」やみずはのめにとって代わられた

神宮皇后の鯰も「狗」 丹生都姫の丹生氏や隼人の船
神宮皇后に従ったという鯰たちは、「狗」のことで、細長い隼人の船も「狗」て゛すから、ナマズ=狗=隼人の船だったのではないでしょうか? 神宮皇后を援助したのは、丹生氏で、船を丹で紅くしたのも丹生氏の「丹」です。 苗族の蛇・鳥・ナマズ・龍・サンショウウオなどなどは、淀姫の「狗魚」と同族のようです。 九州では大国主命の一族が斬られたり、生き埋めにされたという伝承があるそうです。 阿蘇の建磐龍に斬られたナマズ神は「狗神」でもあるようです。 そして牛の角は二匹の龍(へび)であり、阿多隼人の月信仰、梅の枝を引きずりながら追われた牛神という伝承からしても、阿多隼人の一族のようです。 出雲でも梅の枝で、「御立ち」と神を追う風習が、似ているそうです。 この梅は梅の花て゛はなく、梅家紋とされる星(明けの明星)ともとれます。 隼人の月の神を夜明けとともに明けの明星て゛追ったのて゛しょうか? 隼人の月の神とは「狗」の女神て゛しょうか? 牛の角は月・・・ 『新撰姓氏録』によると 県犬養宿祢も「神魂命八世孫阿居太都命之後也」で、 日下部は阿多御手犬養同祖、 で日下部吉見神はどうやら阿多隼人の一族のようです。 ナマズや河豚も「狗魚」です。カワセミは「魚狗」 細長い船の竜骨も「狗」です。 このあたりは 漢字表記から見る狗 参照 神宮皇后に従っていたナマズも「狗」の一族、すなはち隼人や丹生都姫の丹生一族です。 脊振山の熊と姫神とナマズ 「狗」は船、龍「船」と縣犬飼氏 縄文から日本にずっといた隼人はあとから来た天孫族の物部・秦氏に負けて、隷属していったのを物語にしたものが、海幸彦山幸彦の物語だそうだけど・・・
宇佐神宮の比売神とペアの彦星は犬飼星の犬飼氏
織姫のペアの彦星は犬飼星です。 犬飼氏は弁財天とペアの氏族だったのです。 天河弁財天と表裏なのが戸隠神社です。 宇佐神宮の比売神とペアなのは阿多隼人の犬飼氏 天児屋根は天を祀る司祭ではないか? 過去記事でまとめましたが、追々出していきます。 図は英語版ウィキより

比売神はカシオペアです。宗像の胸形、アラビア語で「胸」だそうです。
彦星と織姫で「二羽の鷹」です。 
天津甕星は阿多隼人
幣立神宮参拝(2) 神陵と西御手洗 天津甕星は阿多隼人 より 幣立神宮には天児屋根命のお墓もありました。
天児屋根命は春日権現(かすがごんげん)、春日大明神
天児屋根命は「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」ともいうそうです。 このことが、伝えられているかどうかは知りませんが 初代神官ということは、ハルキ神を祀る神官を、時代が下って、神官だった天小屋根命のことを、春日大明神というようになったのではなかろうか?
三日姫=甕姫 水銀を採取する甕の丹生都姫です。 天津甕姫 神宮皇后に協力したため、天津神に格上げされたのです。 おかみや瀬織津姫は鉱業が廃れたのちに律令国家のもと農業用の水の女神ということで丹生都姫に取って代わりました。

風の神・鳳。風の神が鳳から風(凡と虫=蛇や蜥蜴)になったのは、中国では鳥トーテムの王朝から龍蛇をトーテムとする王朝になったから。
鳳(雄を鳳) 漢字辞典 OK辞典さんよりhttp://okjiten.jp/kanji2300
サラスワティこと弁財天の乗り物はずんぐりした孔雀です。 バビロニアやシュメールにおいて、牽牛(彦星・犬飼星)ことアルタイルが鷲の星とされてます。 だから、弁財天は大鳥(鳳)、Ж、三の女神でもある。 男でもあり女でもある。 神話の大山杭も男であり、女でもありました。 初代神官ということは、ハルキ神を祀る神官を天児屋根、時代が下って、神官だった天小屋根命のことを、春日大明神というようになったのではなかろうか?
とここまで過去記事の復習です。
天児屋根こと天津甕星は春木神の初代神官
縄文の昔から、蚩尤民族など日本はすでに行き来ができる生活圏でした。 その証拠に東方の海中に苗族の故郷の扶桑国があるという伝承があります。 彼らは漢字と言う象形・表意・表音文字を自在に操って、巧に伝承したいことを忍ばせてきました。 天児屋根の子の天下春命とともに、
http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/tan/tan-11.htm 武蔵の横山党が小野氏を吊乗る以前、 つまり小野氏との関わりが生じる以前、何と吊乗っていたか計り知れないが、瀬 織津姫や天下春命は祭っていなかったはずである。では何を祭っていたのか。 武蔵総社をめぐって古来から上思議な言い伝えがある。武蔵総社が祭られる以前、 そこに別の神社が祭られてあり、武蔵総社に乗っ取られたというのである。 そし て何時の日か、村民によって祭り直されたのが、多摩川対岸にある式内社の一つ、 大麻止乃豆乃天神社であるという。その祭神は櫛眞智命神という多摩川の渡しの 神とされ、水の神に縁がないわけではない。
この櫛眞智命神が天香山命(香語山命)です
<追記>武蔵小野神社の祭神は丹生都姫と櫛眞智命から天下春命と瀬織津姫へ 参照
天香語山=玖賀耳の御笠(クガミミの三笠)=香香背男=天津甕星(=天児屋根命)
天香語山は天津甕星=玖賀耳の御笠(クガミミの三笠)=香香背男 鬼(かみ)の氏族 参照 天児屋根命は阿多隼人の犬飼氏で、戸隠神社にも祀られています。 天児屋根こと思兼神が戸隠に移住し、思兼神の子手力男(天背男命)と天表春命を祀るのが戸隠神社 (戸隠神社鎮座考) 思兼神は天児屋根命といわれています。
思兼神(高御産巣日神(高木神)の御子) 『日本書紀』一書では邇邇芸命の母・万幡豊秋津師比売命(饒速日の母でもある)は思兼神の妹 江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。
天表春命は幣立神宮の春木家のハルキ神(春日)の春です。 幣立神宮に楠木正成の直系の子孫が落ち延びて、春木家に養子に入りました。 楠木正成は瀬織津姫を祀る建水分神社を建立し有力な氏子です。 橘氏は阿多隼人の縣犬飼三千代の子孫です。 阿多隼人の犬飼氏が戸隠神社の宮司家です。 戸隠神社は天河弁財天と表と裏で、九頭竜大神(弁財天)が祀られています。 天河弁財天と表と裏の関係なのは、戸隠神社だそうです。 阿多隼人の縣犬飼・犬養氏は弁財天の系譜です。 瀬織津姫ブログで、天児屋根と比売神(そのブログは比売神は瀬織津姫という解釈)が一緒に祀られていることに違和感を感じると書いておられる方がいらっしゃるけど、天児屋根の正体を知ると、そんなことはないと思います。 天児屋根は天津甕星、比売神は天津甕姫・アラハバキ・丹生都姫です。 犬と言われたからこそ、ここまで突き止めました。瀬織津姫は農業が盛んになって丹生都姫やアラハバキが隠されて出てきた水の女神です。
比売神は天津甕姫・アラハバキ・丹生都姫
比売神は天津甕姫・アラハバキ・丹生都姫です。 むしろアラハバキや丹生都姫は時代とともに瀬織津姫に名を変えられてしまいました。 なぜ天児屋根と比売神が一緒に祀られているか? それは
天児屋根と比売神が夫婦・ペア
だからでしょう。 天津甕星と天津甕姫ですから アラハバキとクナト、シヴァリンガが男女ペアのように 今の段階では、天児屋根は阿多隼人の血をひく人であり、比売神=天津甕(三箇)姫=宗像(三)女神の夫ということになります。 天児屋根が天津甕星でしょう。 縣犬飼氏の戸隠神社が弁財天の織姫のペアの彦星・・・
天児屋根が天津甕星
どういう事でしょうか? 手力男(天背男命)のまたの名も天津甕星と関係のある名です。 過去記事で書きましたが、戸隠の彦星は手力男で九頭竜とも関係があります。 犬飼星・彦星・牽牛の相手の織姫は弁財天です。 バビロニアやシュメールにおいて、牽牛(彦星・犬飼星)ことアルタイルが鷲の星とされてます。 天児屋根とは何か? が分かれば、時間がかかるかも知れないけど、徐々に見えて来ると思います。 更に天児屋根の正体を調べます。 目次(作成中) 作成中につき、どんどん変更していきます。 一章 狗奴(こ(゛)うど・くなと゛・ごうの・こうの)とは 1.狗とは 2.漢字表記から見る狗 4.狗とは細長いものと丸いもの 4.狗は蚩尤民族?夏の禹の一族? 5.狗奴(こ゛うど・くなと)は中国を漢民族に追われて縄文人となった人達と出雲族か? 倭種は中国を追われた蚩尤民族が東南アジアに渡って日本に来たものと、メネフネなどの南方系ポリネシアンにインドから来た出雲族が加わったものか? ニ章 中国や日本一帯が生活圏の狗奴の部族 海洋民族なので、生活圏が広い このあたりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F_(%E4%B8%89%E4%BB%A3) よりまとめ 1.神農・蚩尤の一族 紀元前26世紀頃、神農時代、華夏民族の君主・黄帝が蚩尤民族を破る 蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂 ミャオ族も黎族も一部日本に移住 三苗は母系集団、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化と対立 2.夏の禹(九頭竜)の部族 蚩尤民族と対立する龍山文化集団が夏王朝に繋がる遊牧民族的な父系集団 越人は夏人の末裔を自称 倭人・倭族は百越の一族ともされ、また越人の一部は倭国に渡来したとされる 匈奴の先祖は夏后氏 夏王朝の遺族の一部は北西に逃れ、後四川盆地に移住し、三星堆文化(古蜀国)を築いた。 淮南子原道訓では、干(カン)は呉の別表現 3.夏の禹の一族も殷に滅ぼされ帯方東南大海の島・日本に逃げる 4.殷と最初は婚姻関係を結んでいた蚩尤民族は、アーリア人と殷が婚姻関係を結ぶに従い、殷の生贄にされ、中国を漢民族に追われ、呉など南方や東南アジア、帯方東南大海の島の日本に逃げる 5.出雲族日本に到来 6.周の太白の子孫 日本に来る 7.狗奴(こ(゛)うど)国の火明命 倭(wo)の女王天照大神のおおひるめのむち(卑弥呼?)に国譲り (「真澄探當證」による) 愛知以東は「倭種」の国 卑弥呼の国は別の国で、倭(woという発音)、後に倭と書いて「やまと」と読んでいる 8.饒速日(スサノオ・徐福?)の秦人(物部)の侵入 9.崇神王朝 (倭の女王国終焉?) 崇神→垂仁→景行→成務→仲哀(神宮皇后)→応神 [showwhatsnew]