老人と同居していると、老人は古い言葉を日常使うので、孫などは古い尾張弁を知っていたりします。
弟は古い尾張弁を愛知県内の大学で使ったら、学友は誰もしらなかったそうです。
学者はどなたか研究でもなさっているのでしょうが、面白い言葉を記にとどめたいなあと思ったので、メモとして記事にすることにしました。
愛知の大学生が知らなかった言葉、それは「もちかねほおえる」でした。
もちかねほおえる
「まー、もちかねほおえるわ」などと使います。
意味は「大変だから手におえない」です。
もちかね、は「もちかねる」、つまり持っていることが出来ない
ほおえる は 「放ってしまう」
二つ併せて、「持っていることができなくて捨ててしまうことができる」という意味で、「大変だから手におえない」です。
もはや幻の言葉でしょう。
でえもでぇ
「でえも?でー?」と老人は言います。
もうちょっと長くすると「どうじゃあも? どうじゃあも?」の短縮形とお考えください。
直訳すると「なんですか」とか「どういう状態ですか?」とか「何を言っているんですか?」と言うような意味です。
いきなり「でえも?」と言われるときは、よく聞き取れなくて聞き返しているんです。
「どうじゃあなも」というのは、おっとり割と上品な言い方です。
「でー?」はあまり上品ではないです。
でもいきなり「でー?」という人もいます。
だいたいはよく聞こえなくて、聞き返すときに「でー?」と言います。
尾張弁にも階層があって、名古屋市長の某さんの名古屋弁は上品ではない「名古屋弁」です。
テレビでその人が名古屋弁を喋るたびに母は、「下品」だと言います。
某さんは「なも」とか接尾語は使わないのですが、本当の品の良い尾張弁は、おっとりおっとりしています。
そして身内にも尊敬語だとか丁寧語を使います。
使っている本人たちは全く意識していないのですが、平安時代の宮中並に尊敬語を階層分けして使い分けてます。
全く意識してなくて、使い分けているところが恐ろしいです。
御座る など
「御座る」
「御座さっしゃります」
大体、行く・帰ってくる、何々している、いらっしゃる、という意味の丁寧語です。
御座は貴人のいる場所です。それを平気で尾張弁は使います。尾張弁恐るべしです。
江戸時代の武士もですけど
帰って来た時や、行っている時は
「どこ行って御座る」 どこに行ってみえるの
「どこ行ってござったの?」 どこにいってきたの?
行くときは
「どこいかっせる」 どちらにいらっしゃるの
「どこいかさっしゃる」 どちらにいらっしゃいますの?
面白いことに、目上(祖父母など)が孫にも「どこ行って御座ったの」などと言うことです。
家族間でも、敬語を使うのです。
平安貴族と同じく、家族間でも敬語を使いあっているのです。
これは『真澄探当證』を読んでいただくとわかるのですが、雄略天皇に追われて一時尾張地方に亡命していた
継体天皇の父の顕宗天皇や伯父の仁賢天皇の御付きの人達がそのまま尾張一宮近辺に留まって、
御殿言葉が残っているためではないかと考えています。