実家は橘氏ということになっている。
本当かどうかは知らない。
家紋が丸に橘で、女紋が橘なので、私の紋は橘だと言うことくらいしか知らない。
近い祖が楠木正成なので、その子孫は織田信長に攻められて、一族離散となって何も残っていないので、何もわからないのだ。
栗隈王は水の中の生き物を統べる
この橘氏の祖は面白い?人がいて、橘氏の祖の美努王(みぬおう/みのおう)の父の栗隈王(くりくまのおおきみ)は、長崎県では水の中の生き物を統べるということになっていて、
藤原氏に反旗を翻した橘奈良麿の変の橘奈良麿は史書では生死不明で、獄死したと言われているが、実は生きていて九州の橘村に落ち延びて、その子孫が水神社の神主をしていて、河童と仲良しで、河童と人間の争いの仲裁をしたことになっている。
橘奈良麿の子孫が熊野国造家に養子に入り、その子孫の一人が楠木正成になります。
春日大社は河童が一晩で建てた
橘奈良麿の孫の橘島田麿が春日大社建立の奉行だったらしい。
名誉挽回というところか
鹿島神宮からご神体を運び、関東から河童(陸では鳶職)を連れて来て、一晩で春日大社を建てたと言う話が残っている。
やはりここでも河童
橘氏は海の中の生き物の元締めで、河童の頭領らしい。
手力男は父の海神から玉を受け継いだ
縣犬飼三千代の祖は手力男ということで、手力男もやはり海神族の二つの玉を父の海神から受けついでいたという。
船乗りの元締めの水主なので、潮の満ち引きを知る技術のことだったのだろう。
どちらも水に関係がありそうな
楠木正成は天御中主や瀬織津姫を祀る建水分神社を勅許によって建立
楠木正成は天御中主や瀬織津姫を祀る神社を建水分神社を勅許によって建立してます。
勅許というのは天皇家が公に認めているということ。
スピの「瀬織津姫は封印されていた」というのはこれ一つとっても嘘だ(瀬織津姫哀歌 商標登録という瀬織津姫封印)というのがわかります。
父方は水と関係ありそうで、母方はというと、母の実家は寺になっているけど、寺には祖父が養子ではいって、寺とは関係なかったのである。
母方の祖父の実家は千石船を七艘持っていて、それで船七という屋号だったそうな。
でも知り合いの借金の証人になり、財産は全部無くなって、一家離散、祖父は寺に養子に入ったのだそうな。
なので、絶対に借金の証人にだけはなるなと子供の頃から言われている。
母と私は奇妙なくせがあって、しょっちゅう部屋の模様替えをしている。
大人になるまで気がつかなかったのだが、何年か何か月かすると、部屋の模様替えをしているのだ。
模様替えは当たり前のことかもしれないけど・・・
旦那は別に何も変わらなくてもいいそうで、旦那部屋は家具の配置もそのままです。
ちなみに旦那の先祖は広大な敷地で馬を育てていて、馬は一人一頭、馬は下駄代わりの家だったそうで、下駄がないと領地が回れないからだそうな。
『炎立つ』の阿弖流為とかの設定そのままです。
どうやら海神族の血を引いていると、部屋の模様替えとか、引越しとかしょっちゅうしたくなるみたいです。
どうしてかというと、海神族は船であちこち移動していて、それで港港で次々と変わる環境にいたから、どうもそのなごりではないかと。
船で移動する代わりに、部屋の模様替えでフラストレーションを発散させているのではないかと。
旦那のほうは、家は定点で、馬で広い場所を移動しても、また同じ家に戻っていたから、旦那には引越ししたいとか、模様替えしたいとかいう欲望??はないみたいなんです。変わらなくていいと言っています。
母などは突然、「今日は模様替えだ」といって家具の大移動を家族に手伝わせてました。
私はちまちまと一人でやっています。
随分と海神族のフラストレーションは矮小化して発散されているものです。
お引越しやお部屋の模様替えが好きなあなた、あなたにも海神族の子孫かもしれません。
くだらない話ですみません・・・・