
先日江の島の弁天さんに会いに行った。
妙音弁財天さんはじっと見つめて下さる。
だけど、目を合わせてくださらないように感じるのが八臂弁財天さんだ。
何やらお顔も恐ろし気です。

八臂弁財天さんは、『吾妻鏡』によると、文覚上人が頼朝の奥州藤原氏呪詛の願いのために江の島に勧請したものだそうです。
文覚上人といえば、袈裟御前のお話で、袈裟御前は夫の身代わりとなって文覚に首をうたせて、武士であった文覚は出家したのでした。
元北面で文化人でもあった西行をライバル視していて、日頃弟子にブウブウ西行の悪口を言っていたのですが、ある時旅の西行が文覚上人を訪ねてくると、上を下にも置かないようなもてなしです。
弟子が「あんなに日頃西行が来たら打ち取ってやるとおっしゃてたのに」というと、「あれが打ち取られるようなタマか。反対に俺が打ち取られる」
頼朝は江の島の弁天さんで奥州藤原氏を呪詛調伏したのか?
そして頼朝に平家打倒を焚き付けたのも文覚上人だとされています。
その文覚上人が弁財天で呪詛調伏したとされていますが・・・
1182年、文覚上人は江の島に21日間参籠、肝胆を砕いて懇祈した、とある。
1183年 木曽義仲入京
1185年 安徳天皇入水・平家滅亡
1189年 義経殺され奥州藤原氏滅亡
『吾妻鏡』は頼朝の死後100年たってから書かれており「謎の弁財天女」によると、文覚上人が信仰していたのは不動明王であり、弁財天ではなく、頼朝も狐(ダキニ天≒弁財天)を射ているので、弁財天を信仰していたとは考えられない、頼朝は出雲系と大山積で、弁財天を信仰していたのは北条氏だというのです。
源頼朝の母は尾張の熱田神宮の宮司藤原季範の娘で、頼朝は尾張氏の血を引くことから、出雲系の神でも大山積でも納得できます。出雲系から弁財天も考えられなくはないのですが・・・
頼朝の奥州藤原氏の呪詛調伏は『吾妻鏡』のでっち上げ
「謎の弁財天女」によると、
京都の三善善信が弟を頼朝の元にやった。善信は頼朝の乳母の子であったので、1180年、以仁王と源頼政が敗死、令旨を受けた源氏はみな追討されることになっていた。内容が重大なため弟の康清を使いにやり、奥州藤原氏のもとに頼朝も逃れたほうがよいと勧めた。
そうです。この事から奥州藤原氏は源氏の最大の庇護者であったことを意味します。
奥州藤原氏にも頼朝追討の令旨が発せられましたが、奥州藤原氏は動きませんでした。
反対に、吾妻鏡が頼朝が江の島で奥州藤原氏を呪詛調伏させたとしていますが、この時、頼朝は奥州藤原氏のもとに逃げなければならない立場だったそうです。
頼朝が奥州藤原氏を呪詛調伏したと『吾妻鏡』ででっち上げたのは、北条氏が自らの立場を有利にしようとしたからだそうです。
北条氏は平氏であり、平家は神仏習合時代に弁財天と習合した宗像三女神の厳島神社を建立していることからも、北条氏が弁財天を信仰しているほうが自然です。
北条氏の家紋のミツウロコも龍神系の家紋です。
江の島の下の宮の下之防は北条氏
江の島の下の宮の下之防は北条氏です。
長門本『平家物語』と『源平盛衰記』によると、その頃は、平清盛を助けた貴狐天皇=ダキニ天=弁才天 であり、当時は呪詛調伏の神、というか天部であった。
北条氏は呪詛調伏とともに次々と他氏を排斥していきます。
頼朝を呪詛によって落馬させ殺したのは北条氏ではないかとも言われています。
どうやら『吾妻鏡』で文覚が頼朝を焚き付けて平家打倒をさせ、奥州藤原氏も文覚上人が呪詛調伏したことにし、実は奥州藤原氏も北条氏が呪詛調伏したように書いてますが、北条氏が頼朝を説き伏せて攻め滅ぼしたようです。
美しい弁天さんが呪詛調伏に使われているのはあまり考えたくないのですが、八臂弁財天はカーリーやドゥルガーと似ています。

南朝の本拠地となった天河弁財天も呪詛調伏法が伝わっているといいます。
やはりこちらも弁財天に北朝の呪詛調伏を祈願したのでしょう。
天河弁財天の宮司家に伝わるものは、還暦を過ぎてからでないと見てはいけないというものもあるそうです。
下は橘香道さんの本より 天河弁財天社の空海の灰練り弁財天

空海は天川で修行していたと伝わります。
空海が植えた大イチョウや阿字観を彫った石などが天河弁財天の近くにあります。
貴狐天皇、でしょうか? 狐と蛇が合わさったような

鎌倉室町の神仏習合で、貴狐天皇はこんな姿だったのでしょうか?

長くなりそうなのでまた
それでもやはり、夢に出てきた弁天さんは美しく、やはり私は弁天さんが好きです。
あ、瀬織津姫が弁財天女だということはあり得ません。
瀬織津姫は藤原氏が律令制を導入し、そののち藤原氏の権勢になびくために、丹(鉱物)と水の女神であった丹生都姫に瀬織津姫の仮面を被せ、律令制の礎の農業の水の女神としたのが瀬織津姫ですから。
瀬織津姫は藤原氏公認の女神です。その証拠に大祓祝詞に瀬織津姫は出てきますが、丹生都姫はでてきません。
本当に藤原氏が排斥したかったのは、アラハバキや丹生都姫です。
その証拠に全国の神社でアラハバキや丹生都姫が瀬織津姫という仮面を被せられています。
例えば、武蔵小野神社も櫛真智命や丹生都姫やアラハバキを祀っていました。
それを藤原氏の天下で、藤原氏公認の瀬織津姫という仮面を被せたため、武蔵の小野神社のご祭神は瀬織津姫になっています。
瀬織津姫は縄文の女神というデマが出回ってますが、瀬織津姫で一儲けしたいスピの輩が歴史を調べもせず、縄文が流行っているからと、縄文の姫という嘘を広めました。嘆かわしいことです。
