伊予の青石を家に置くことが出来るのは成功した印とされています。
これはある意味怖い話というかなんというか
寺の住職だった祖父の跡をついて、伯父も僧侶になりました。
伯父は子供の頃から肉しか食べなくて、祖父は長男だからとそれでも許していたそうです。
長じて僧侶となってからも肉しか食べない偏食をずっと通してきたそうです。
最近は僧侶も肉も魚も食べますが、当然昔は僧侶の肉食は禁じられていたわけです。
最近は、僧侶の食生活も自由になったとはいえ、肉しか食べないで、どうやって僧になる修行時代を過ごしていたのだろうかと思います。
伊予の青石
祖父母は最初は結婚した長男である伯父と同居していたのですが、嫁姑の折り合いが悪く、弟である叔父と同居しておりました。
寺だろうが一般家庭だろうが、嫁姑問題は勃発するもののようです。
祖父は僧侶であり、高校の教職にあった身ですから、嫁姑問題にも折り合いを付けなければならないと普通は思いますが、祖母もエキセントリックなところがあり、別居に至ったようです。
祖父母がその山寺を出て別の寺に移動することで別居し、伯父がその山寺を継ぎ、娘に婿養子を迎え、婿は僧侶となりその山寺を継ぐこととなりました。
藩主の菩提寺でもあったのですが、山寺で檀家さんもすくなく、決して豊かというわけではなかったようです。
そんなある日、伯父のところに別の寺の住職にならないかという話が舞い込んできました。
檀家も多い格式の高い寺であったため、本来なら本山の方からもっと偉い僧侶を迎えるところ、祖父の教え子がその寺の総代をしており、そのため伯父に住職の打診があったようです。
檀家さんの数も多く、年収は一億円だそうです。
まさに坊主丸儲け、というような話です。
年収一億と聞いて、伯父夫妻は色めき立ち、一もにもなくその寺の住職を引き受けました。
山寺の住職は娘婿が継ぎました。
伯父夫妻は娘婿にその寺の住職継がせたがったそうです。何せ年収一億ですから。
でも、娘婿はその山寺を出たら、田舎の山寺で誰も住職のなり手がない事もわかっていましたので、
山寺を出て、その裕福な寺の住職になるのを躊躇しておりました。
そこで伯父夫婦は一計を案じ、娘婿にその寺を継がせることとなったのでした。
哀れ、山寺は無住となり、今も無住です。
伯父が住職をした寺が無住になってしまうのも、檀家さんが少ない山寺とは言え、住職の家庭の事情や金に目がくらんでのことなので、今や僧侶は仏様に仕える身ではなく、世俗にまみれて生きているのでしょう。
その伯父も年を取り、隠居する家を建てました。
欄間の彫刻も豪華で、まるで寺の欄間を小さくしたようです。
沓脱石は伊予の青石です。
寺は集会場や仏事など様々な行事の場所で公共の場所であるので、豪華なのも仏法に帰依させる方便といえますが、隠居した僧侶の家の欄間が豪華絢爛なのは年収一億の賜物でした。
伯父夫妻が婿夫婦に一億円寺を跡とりさせるために親戚を巻き込んで一計を案じたことで、親戚間がギクシャクしていたのですが、祖父母の御骨をもといた山寺のお墓に入れるために、親戚が伯父夫妻の隠居家に集まりました。
沓脱石は伊予の青石で内装も豪華なものでしたが、入った瞬間悪臭が鼻につきました。
伯父は幼少の頃から肉しか食べなかったため、病を得、その病のための悪臭が家中に漂っていました。
昔の僧侶のイメージでは、あまり身体を壊して亡くなるということは少なそうですが、伯父は僧侶となってからもずっと肉しか食べない偏食でしたので、そのような病を得るのは誰が見ても納得できることでした。
あまりにも豪華な欄間や伊予の青石の家で、悪臭を漂よわせながら亡くなっていくというのも、とても僧侶の最後とは思えないものでした。
自分の檀那寺の住職が肉しか食べない偏食だったら、とても浄土に導いてくれるとも思えず、有難味もなく、その寺の檀家さんたちも気の毒だと思いました。
かくして、財を為した肉食の僧侶は、伊予の青石を家に置き、悪臭を漂わせながら亡くなったのでした。