撞賢木厳御魂天疎日向津比賣 について「ひうら」という読み方はできないかと思いました。
ひうらつひめ
「ひうら」という地名はないかと探しましたら
などがありました。
こちらに
「船盡神社」があります。
船盡神社(ふなはて) 「船尽神社」
神山町阿野字歯ノ辻一番地
祭神 船盡比売命 天手力雄命 「歯の辻神社」と称し歯痛を治す神
船盡(ふなはて)神社 「船尽神社」
清和天皇の貞観十四年(八七二)十一月阿波国船尽比売神社に従五位下とみえる。 船尽とは読みどおり船着き場(ふなと)で、すぐ下流の式内麻能等比古神社(祭神は水門の神速秋津比古命)と夫婦一対で祀られたものと考えられる。 すなわち祭神は速秋津比売命ですぐ上流の少童神社と合わせ特に重要な古代の関所であったと思われる。 鮎喰川は大正年間まで帆を懸けた船によって物資が上流まで運ばれていたが古代高天原に上る要路であったと推定される。
「大嘗祭」の「阿波に秘められた古代の謎」より・・
鮎喰川 ちょっとこの地図は場所がずれてしまいました

「船盡神社」おふなたさんの対岸には船盡比賣神社があります。
船盡比賣神社の地図
船盡比賣神社
船盡比賣神社
徳島県徳島市入田町大久
船盡神社のご祭神の天手力雄命は船盡比売命 と夫婦なのでしょう。
地図を見ていただくとわかるように、船盡神社の前の港は古代は栄えており、インドの大型船も遡って来たそうです。
船盡神社 歯の辻神社は八辻=天の八街(やちまた)天の八衢
先日行った戸隠神社の奥社(祭神天手力男神)の九頭竜大神も「虫歯の神」でした。
九頭竜大神には梨をお供えするそうです。
手力男もご祭神です。船盡神社の「歯の辻神社」は当て字で、歯の辻=八の辻=天上界にある八路の辻・天の八街(やちまた) のことではないでしょうか?
九頭竜ということは、股が八で=八辻・八街です。
船が行き交う水の交通の要所であったために、水の八辻から歯の辻神ということになったのではないでしょうか?
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊の
男聞襲大歴速狭騰尊は幡を懸けた船が上流まで昇っていく意味
ではないでしょうか?
参照
幡を懸けた船は男聞襲大歴「をきながたらし」
紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神は、現在は相賀八幡神社 (和歌山県橋本市胡麻生237)
『南海道紀伊国神明帳』によると「天手力雄・気長足魂・住吉神とあり、古くは住吉大社の神を祀っていたようである。http://www.7kamado.net/ouga より
気長足 と
男聞襲大歴 をきつぐたらし・をきながたらし で
男聞襲大歴は、「をきながたらし」「をきつぐたらし」のようですhttps://prt2.tukiyononeko.net/tukisakaki-atoheisora より
やっとこれで手力男と天疎日向津比賣は夫婦で祀られていそうだということがわかってきました。
瀬織津姫とされていたのはくくり姫(菊理姫)こと栲幡千千姫であり、手力男の妻神だったのです。
瀬織津姫でもなく、饒速日でもありません。饒速日が藤代の峰に降り立ったことになっていますが、本当は手力男だったのです。
・神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。
・紀伊國伊都郡の丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神が鎮座 後裔社は相賀八幡神社
・地域の太陽神だった日前国懸神宮は古くは手力男を祀っていた。日神を出す太力男神
高天原(高山)から降りてきた天降る神「手力男」は饒速日によって、駆逐されてしまったのでしょうか? 海神族どうしで同族なのでしょうか
水門の神速秋津比古命と夫婦一対の速秋津比売命は手力男と撞賢木厳御魂天疎日向津比賣
大日靈女命(八倉比売命とも)は、阿波独特の神話が記された社伝の『天石門別八倉比賣大神御本記』の内容に基づいて天照大神の別名※とされています。「撞賢木厳御魂天疎日向津比賣(つきさかきいつのみたまあまざかるひうらつひめ)」
天ノ仁木命、亦の名を建羽雷命 亦の名は角凝魂命と申して大和國鳥見白庭山に天降る後に賀茂別雷神とし齋祀られたる弓矢神 天ノ磐船ノ神此なり 其妃を船盡比賣命といふ
こは木船ノ神、屋船ノ神 なりとの御系をませば御名を稱へ申して其の夫神 建羽雷命と共に倭文ノ神と齋祀られし玉へ、御社は名西郡長谷村船盡比賣神社此なり 式外なれど三代貫禄貞觀十四年十一月廿九日乙未に授位ある程の御社なるべし
大日寺は船盡神社の別当寺(大日寺、船盡神社、一宮神社、船盡比賣神社、麻能等比古神 一宮祠の東百八十歩
船渡神あり 或は以て船盡と為す 是なり三代実録貞観十四年十一月二十九日従五位を授く、(松浦年長による)
旧事記云ふ島之石楠船神又の名は天島船神、大宜都比売命の兄弟也 鮎喰川の船着場でありながら高天原と葦原中つ国を分ける関所として、まさしく塞として機能していたということです。
船盡(ふなはて)、船渡(ふなと)・船戸(ふなと)と呼ばれる所以です。 一宮の船盡宮は神山町所在の七六七基ある岐神(ふなとのかみ)の元宮であり、袋小路状になった鮎喰川上流の各村(広野、阿川、鬼籠野、神領、左右内、下分、上分)に「船戸の神(おふなたさん)」が伝播したのであります。
そして、松浦年長が書き留めた船盡比賣命とは…「木船ノ神」、「屋船ノ神」とあります。松浦年長の船盡比賣命に関する書記からでは、夫神 「天鳥船神(あめのとりふねのかみ)」に併せてか、「木船ノ神(きふねのかみ)」とあり、こちらから船盡比賣命は「貴船の神」に変化したのではないかと考えました。http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/12/05/191119より転載
祭神
罔象女神(みずはのめのかみ)
闇龗神…(くらおかみのかみ)
埴安神…(はにやすのかみ)
境内社
須賀神社(素盞嗚命)
御霊神社(大巳貴命・少彦名命 御霊八所神)
やはりご祭神は貴船神社と同じ水の神様です。吉野にも水分神社からでしょうか、みこもりということで、子守神社があります。
天津甕星と手力男と織姫
ということは、天津甕星あるいは天津甕星を討ったor説得した倭文ノ神は貴船神社の女神で、夫の天ノ仁木命・建羽雷命・角凝魂命=手力男ということになります。
倭文神と建羽雷命は夫婦のようです。
貴船神社の夫婦の神はこの二人なのでしょうか?
手力男も彦星・犬飼星、織姫も星神どうしです。
系図では建羽雷命・角凝魂命・手力男は別の人物になっており、まだ調べてみないとわかりませんが、同族だから説得できたのでしょう。
倭文氏と犬飼・縣犬飼氏は神魂命の子孫
倭文氏と犬飼・縣犬飼氏は神魂命の子孫とされています。https://prt2.tukiyononeko.net/amatumikaboshi-inukai 参照
「神代系図」(著者: 平田篤胤)による
天御中主—-高皇産霊尊と神産巣日神の子が—-角凝魂(天底立命とも)—-手力男
手力男の二人の子が天日鷲命と天鈴杵命
手力男—–天鈴杵命–天御雲命–天村雲命(阿多小橋・二上命)—天波与命──天日別命
<
p class=”gb-volume-title” dir=”ltr”>手力男—–天日鷲命–天羽雷雄命
『新撰姓氏録』氏族一覧2(第二帙/神別)でも神魂命が倭文連祖・懸犬養連祖とされています
「建御雷神が天鳥船とともに天下ったのは、雷神は船に乗って天地を行き来すると考えられていたためかとも推測される」とうぃきにあるけど、やはり「戸隠神社鎮座考」で言われているように、「先代公事本紀」で饒速日が船でにぎにぎしく移動してきたというのは、天手力男の事績をのっとってしまったのかもしれません。
藤代の峰に饒速日が降臨したことになっていますが、実際は丹生都姫と手力男が祀られています(丹生川上の天手力男意氣績ゞ流住吉大神)
九州でも高木神の高良玉垂宮は物部氏に土地を乗っ取られたようです。
天河弁財天ももとは脊振山にありましたが、恐らくは同様の理由で、物部氏に侵入され、吉野に移動したのではないでしょうか。
縣犬飼氏の血を引く橘氏の楠木正成は建水分神社を建立しました。 祭神は天御中主や瀬織津姫になっています。先祖の天御中主や瀬織津姫と名前を変えられた女神などを祀ったのでしょう。
律令国家の農業政策で鉱物神としての性格が減り、水神として瀬織津姫と言われるようになった丹生都姫も祀られています。
伊勢神宮の内宮に手力男と栲幡千千姫 栲幡道道姫が祀られています。
饒速日がにぎにぎしく登場し、敗れ、祟り神になるとしたら、内宮で盛大に祀られているのは饒速日のほうがふさわしい気がしますが、そうではなく、内宮には彦星(犬飼星)の手力男と棚機姫が祀られています。
織姫こと栲幡千千姫と彦星犬飼星の手力男が伊勢の内宮に祀られているのです。
犬飼氏と縣犬飼氏の祖の手力男が伊勢の内宮に祀られているのです。
戸隠神社の手力男と九頭竜大神・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊,九頭竜弁財天
天河弁財天の弁財天は星信仰・七夕信仰の織姫・栲幡千千姫・撞賢木厳御魂天疎日向津比賣