阿多隼人の住吉明神は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊で撞賢木厳之御魂天疎向津媛とペアの男神です。
甲・武甲・務古は銅の産地で、廣田神社は銅の精錬地で「かる、かむ」なども銅という意味だそうです。
神流川も銅が採れた土地の川
神流川のかんる川も銅が採れたの土地の川でしょう。伝説では神の血が流れたといわれていますが、かんなながしをやっていたとか、銅で川の水が緑がかった川ではないでしょうか?
あれが神流川だとおもったのですが、緑の川でした。銅が取れた土地だろうなとは想像できます。
持統天皇の廣野日女尊は向津媛の意味
廣田神社は廣も「こう」で、甲田神社でもあり、持統天皇の廣野日女尊は銅の姫・向津媛と解釈できます。
銅の姫・太陽の巫女という意味でつけたのでしょう。
向津姫は「くくり姫」で水の中から太陽王を誕生させる意味
向津姫は廣田神社の「くくり姫(菊理姫)」ですから、水に潜り、水の中から太陽王を誕生させるという意味合いで、そのような諡号をつけた気がいたします。
もっとも、持統天皇の場合は、自分が血で手を汚し、血を浴びた本当の
禍津日神という意味の向津姫かもしれません。
血を浴びた体を水に潜らせて「くくり」、身を清めた向津姫は太陽王を誕生させたかったのでしょう。
潜るといえば、穴に潜って銅をとります。といっても、丹などは浅いすり鉢状の穴で掘っていたようですが
ムカデ・百足といえば、銅山です。ムカデも穴に潜ります。銅といえば百足です。聖神社の銅の百足も持統朝に銅が採れた記念に作られたものです。
銅の採掘穴を百足穴と呼ぶとか
高天原廣野姫は「高い山の銅の姫」という意味
高天原廣野姫天皇という持統天皇の諡号も持統天皇が吉野の山と縁が深いからということもあったでしょうし、丹生都姫たちは元々高い山で丹を採取していたから
丹生都姫たちが高天原にいたから
丹生都姫のまたの名を稚日女姫だと知っていたから、高天原の銅の姫という名をつけたのでしょう。
「神」は山の高いところに住んでいて、日本が寒冷化するとともに、下に降りてきました。
天武や持統を匿った丹生氏や井光姫の井氏なども水銀の一族です。
持統天皇は自分がくくり姫となって太陽王を誕生させたかった
持統天皇は自分がくくり姫となって草壁皇子を日下の王として、太陽王を誕生させたかったのだと思います。
自らが「くくり」となるためにあの諡号としたかったのでしょう。
神流・かんる≒かる
かる=銅=廣・甲は神・・・・
諡号はその意を汲んだ不比等がつけたのか、自ら考えたのか・・・・
持統天皇は自ら太陽王を誕生させるという名前をつけたのか?
井光姫も天降りつく神
先日、「いひかの里」という井光姫がいた集落に行ってきました。
そこの集落の人達も以前はもっと高いところにいて、丹を採取していたようです。
露天掘りだったようです。
すり鉢状になっている場所があり、そこで丹を採っていたといわれています。
700年前くらいに、もっと低いところに移動したそうです。
軽皇子は銅の皇子
「かる」の皇子は「銅の皇子」という意味があります。
銅の巫女と名乗る持統天皇の孫ですから、銅の皇子なのでしょうか。
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊と撞賢木厳之御魂天疎向津媛が向かい合っている神戸や境も銅の港という意味だったのでしょう。
草壁皇子は日下部で、阿多隼人の縣犬飼三千代が乳母ですから、草香江と関係があるのかもしれません。草香江をはさんで、向匱男と向津媛はいました。銅と関係があります。
軽皇子は銅の皇子であり、銅の大仏を建てた人も「かる」であると言えるかもしれないですね。
くくり姫こと丹生都姫たちとともに、住吉さまが吉野にいたころの名が残っています。
阿多隼人の住吉さまの向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊のまたの名は・・・・続くのでした