撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と覆面のあとへいそら 向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊https://prt2.tukiyononeko.net/tukisakaki-atoheisora
の向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊の部分を加筆修正しましたので、向匱男の部分をもう一度記事にしました。
撞賢木厳御魂天疎日向津比賣とペアになっている男神がいる。
住吉大神だ。住吉明神が向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊とされている
「住吉神社神代記」というものがあって、平安時代に書かれたものとされている
その中に住吉明神のまたの名が載っています。
それが 向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 です。
三軍一大明神
亦御名。向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊。又速逆騰尊。
これは神宮皇后が新羅を攻めた時に、神宮皇后が神託で重ねて神の名を知ろうとして、四柱の神が名乗り、最後に住吉明神が「我が名は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊である」と言った。その名です。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono501.htm
神功皇后は、先日の仲哀天皇が信じなかった神の正体を知り、宝の国(新羅の国)を手に入れようとして、自ら神主となり、神の名をお尋ねになった。
すると4柱の神がお答えになった。1番目の神の名は次のとおりであった。
「神風(かむかぜ)の伊勢国の百伝(ももづた)う度逢県(わたらいのあがた)の拆鈴(さくすず)五十鈴宮(いすずのみや)に所居(ま)す神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」2番目の神の名は次のとおりであった。
「幡荻(はだすすき)穂に出し吾(われ)や、尾田(おだ)の吾田節(あがたふし)の淡郡(あわのこおり)に所居(お)る神」3番目の神の名は次のとおりであった。
「天事代虚事代(あめにことしろそらにことしろ)玉籤入彦厳之事代神(たまくしいりびこいつのことしろのかみ)」
4番目の神の名は次のとおりであった。
「日向国(ひむかのくに)の橘小門(たちばなのおど)の水底(みなそこ)に所居(い)て、水葉(みなは)も稚(わかやか)に出(い)で居(い)る神、名(みな)は表筒男(うわつつのを)・中筒男(なかつつのを)・底筒男(そこつつのを)の神」
「住吉神社神代記」には 凡大神宮。所在九箇處 のうち
向津姫も住吉明神の係累として載っています。
當國住吉大社四前 西成郡座摩社二前
原郡社三前
播磨國賀茂郡住吉酒見社三前 戸三烟
長門國豐浦郡住吉忌宮一前
筑前國那珂郡往吉社三前
紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神
大唐國一處 住吉大神社三前
新羅國一處 住吉荒魂三前
部類神
當國廣田大神 筑前國橿日
宮 糟屋郡阿曇社三前
播磨国明石郡垂水明神 紀伊国名草郡丹生「
」姫神
こちらが瀬織津姫とされてしまった廣田大神 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命のことです。
また「丹生川上天手力男意気続々流住吉大神」を見る限りでは、住吉明神は手力男のようです。
(紀伊国伊都郡) 和歌山県伊都郡高野町上・下筒香の丹生神社、
祭神-丹生都比売命、後裔の社は、和歌山県橋本市の相賀 八幡神社、 祭神-誉田別命・足仲彦尊・気長足姫尊といわれる、文忌寸材満が祭祀
天手力男命は犬飼氏が祀った
いままでこの記事で書いてきましたが、天手力男命は犬飼氏が祀っています。
犬飼神社 八木村大字箕土路字犬飼 天手力男命・犬飼宿彌
戸隠神社(長野県長野市)宮司家犬飼氏
他に手力男を祀る神社は
佐那神社(三重県多気郡多気町)、長谷山口坐神社(奈良県桜井市)、白井神社(兵庫県尼崎市)、雄山神社(富山県中新川郡立山町)、手力雄神社(岐阜県岐阜市)、手力雄神社(岐阜県各務原市)、戸明神社(福岡県北九州市)、天手長男神社(長崎県壱岐市)、神命大神宮那須別宮(栃木県那須郡那須町)
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊と撞賢木厳御魂天疎日向津比賣は対応する
ほかの方もこの男女の神名を解釈しておられます。
私も手力男を追ってきて、その流れでこれを見つけました。
この二つの名前を音や意味で対応させてみましょう。私はこの二つの読みをこう考えました。
撞賢木 厳御魂 天疎 日向津比賣
つきさかき いつのみたま あもる(あふる・あおる) ひうらつひめ
向匱 男聞襲大歴 五御魂 速狭騰 尊
むかひつ おきつぐたらし いつのみたま はやさのぼり のみこと
これ順番を変えて、言葉ごとに対応させると
①向匱 ➁男聞襲大歴 ③五御魂 ④速狭騰 ⑤尊
①日向津 ➁撞賢木 ③厳御魂 ④天疎 ⑤比賣
➁はそれぞれの神の特徴を表しているようです
言葉ごとにみていきます。
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊 (むかひつ おきつぐたらし いつのみたま はやさのぼり のみこと)は
①向匱 ➁男聞襲大歴 ③五御魂 ④速狭騰 ⑤尊
順番に解釈していきます。
①向匱 むかひつ
「向ひ津」ととると「向の津(船着場・港)にいる」ととれます。向や甲・廣は銅の意味もあります。
「向日つ」ととると、「日向の」という意味にとれます。「向日(むかひ)」は、「朝日を拝む神聖な場所」である東でしょうか?
だとすると、内宮の手力男が東殿にいるのとあっています。
まだ、日向とか向日とか具体的な地名とかは考慮に入れないで置きます。
➁男聞襲大歴 おきつぐたらし・おきながたらし
襲を「つ-ぐ」ととり、男聞襲「おきつ-ぐ」
大歴は万葉仮名で読むと「たれ」と読めます。
神宮皇后の「たらし」のように、「大歴」は万葉仮名で「帯・足」の「たらし」と読んだのではないでしょうか?
神宮皇后に神託を下したのが住吉大神です。
神功皇后は
『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)です。
紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神
また「住吉神社神代記」に 紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神 とあり
意氣績ゞ流 おきつづくる(おきながたらし?)
男聞襲大歴 をきつぐたらし・をきながたらし
住吉明神=天手力男のようです。
二神が対応するなら、神宮皇后の「おきながたらし」
紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神は、現在は相賀八幡神社 (和歌山県橋本市胡麻生237)
『南海道紀伊国神明帳』によると「天手力雄・気長足魂・住吉神とあり、古くは住吉大社の神を祀っていたようである。http://www.7kamado.net/ouga より
気長足 と
男聞襲大歴 をきつぐたらし・をきながたらし で
男聞襲大歴は、「をきながたらし」「をきつぐたらし」のようです
http://kamnavi.jp/ki/nitizen.htm
『播磨国風土記逸文』
神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。
後裔社は相賀八幡神社
高野山の東の奈良県境の近くに筒香がある。藤代の峯については県境付近と言うが具体的には不明である。筒香の近くに富貴地名があり、共に丹生神社が鎮座。
『住吉大社神代記』には、紀伊國伊都郡の丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神が鎮座していることを記している。天手力男の名から付近に船木氏の存在がうかがわれる。
住吉大社の宮司である真弓常忠氏は『古代の鉄と神々』の中で「船木氏は丹生川上よりも砂鉄の豊富な播磨へ移動」と推定されている。
http://kamnavi.jp/log/ugatoki.htm
『住吉大社神代記』に「船木等本記」の記載があり、日神を出す氏族として尊ばれています。天手力男を遠祖とし、大田田命、神田田命を祖神としています。彼らは住吉大社創建の頃と言うか初期の河内での王権確立の頃には重要な役割を果たしていたのでしょうが、その後の河内の歴史には登場していないようです。
船木氏は大社の祭祀について津守氏との主導権あらそいに破れたのかもしれません。従って河内王権から見たら僻地のような紀伊國伊都郡丹生川上天手力男意氣績ゞ流住吉大神を祭祀し、鉱物を採取していたようです。後にわけがあって、やむをえず、ついに丹波の国の比遅の麻奈韋に遷さされたのは船木氏であり、船木氏が豊宇可乃売神を奉じて遷ったのでしょう。この女神は穀物の神とされています。そうでしたら本来は、日神・水神・竈神・酒神でもあったのです。従って元始の神といえます。
日神を出すとはどういうことでしょうか? 天岩屋から天照大神を引っぱり出す、これは実に判りやすい。それだけでは単なる力持ちのこと、そうではなく、日神を舟に乗せて天空を西へ、また沈んだ日神を東から昇らせる役割が重要です。
金星は明けの明星の場合、太陽より先に昇って来ます。それに続いて日が昇るのです。また宵の明星の場合には太陽が沈んだ後も輝き続けます。まさに太陽の運行を司っているのが金星だとされたのです。金星こそ豊受大神と見なされていたのです。金星は日神、月神の御祖ともされ、豊受大神がそのように見なされた始原の神に相応しいのです。
丹後の海部氏は豊宇可乃売神を奧宮で祀っています。海部氏と津守氏は同族であり、豊宇可乃売神を祀っていたのでしょうが、河内の王権からは姫神としては神功皇后を祀るべく強制されたのではないだろうか。その段階で、津守氏は豊宇可乃売神とは袂を分かったのでしょう。
神功皇后の母方の祖は天日槍命ですが、父方の祖は日子坐王です。従って共に日下首の祖である浦嶋子が祖神とも言えます。住吉大神は塩筒老翁でもあり、筒川の浦嶋子です。浦嶋子は住吉の地で姫神である豊受大神を祭っていたのですが、これが神功皇后に置き換わってしまったということ。
そう手力男の子孫は日神を出す氏族であり、日神を舟に乗せて天空を西へ、また沈んだ日神を東から昇らせる役割のようです。
太陽の船というか、太陽の船を先導する星とみなしたほうがよいのではないでしょうか?
http://kamnavi.jp/log/ugatoki.htm
『日本書紀』天武朝 持統朝
天武朝朱鳥元年(686) 紀伊国国懸神、飛鳥の四社、住吉大社に奉幣。天武の病気回復。
伊勢内宮外宮と日前国懸
天武天皇の病の回復を祈って紀伊国国懸神に奉幣されている。王権から奉幣された紀伊国の神の初出である。当時の紀伊国を代表する神は日前国懸神宮に坐す神であろう。
この頃の日前神は地域の太陽神だったようだ。国懸神は紀伊國を代表する大神であり、日神を出す太力男神であり、風の神であり、木の神だったのだろう。
向匱男聞襲大歴を「むか(ひ)つお きこえぞたらし」と読むと
大歴は「帯れ」「足・たらし」とよみました。
住吉大神も阿多隼人だと言われています。
「日下首の祖である浦嶋子が祖神とも言えます。住吉大神は塩筒老翁でもあり、筒川の浦嶋子です。」
阿蘇の日下部吉見神と繋がってきます。
日下部の日下部で、住吉大社の近くには草香江がありました。
日下部は阿蘇の古族 日下部吉見神につながります。
日足紋です。

太陽を置く、日下部
酒見社と酒見・酒解神
持統天皇の皇子、草壁皇子を日下部氏と同族、天手力男を祀る犬飼氏の縣犬飼三千代が乳母として育てています。
縣犬飼三千代の氏神が梅宮神社の酒解神です。
酒を初めて作ったので、おおやまつみを酒解神と言うそうです。
『住吉大社神代記』には播磨國賀茂郡住吉酒見社があります。
元伊勢の今伊勢 酒見神社
尾張にも酒見神社があります。初めて伊勢神宮に酒を作って奉納したことから「酒見神社」といいます。
(酒見神社の栄水の井は霊力が強いお水らしくて、私が以前大祓祝詞をあげたときに井戸から光が出ていました)

この酒見神社はもしかしたら、住吉明神なのではないでしょうか?
酒見神社は最東端の元伊勢で、住所は「今伊勢町本神戸」で、「伊勢神宮にかなり強い対抗心の高い住所名の為、この神社の神は伊勢に対抗して立てられたいう話が残っている。」
ほんと、今も住所が「今伊勢」なんですよ。
だとすると、梅宮神社の酒解神は古い太陽神であった手力男を祀るのであり、梅は星を意味するのではないでしょうか?
酒見神社は北面しています。

天津甕星こと手力男は星神です。
太陽神というより、古代はひときわ輝いていた星だったのではないでしょうか
手力男の彦星は犬飼星といいます。手力男を祀るのは犬飼氏です。
犬養縣ノ犬羪の二氏は倶に手力男命の子孫なれは神詫(託)によりて仕奉る事と成ねるをその由縁あり 又この信濃国に犬養と称ヨふ地多く
あるもその初この氏人の領けるより起れる称ナなるへし」戸隠神社鎮座考
戸隠神社には九頭龍社があります
牽牛・彦星、鷲座は九曜の星と呼ばれていたそうです
木花開耶比売命は阿多隼人で別名「阿多姫」
天河弁財天のある天川村に隣接する奈良県五條市は隼人が移住したらしく、隼人の祖の木花開耶比売命(阿多姫)を祀った阿陀比売神社や月読神社があります。隼人の本拠地の鹿児島県にも月読神社がいくつかあります https://prt2.tukiyononeko.net/amatumikaboshi5
もう一人、阿多姫がいて、この人は皇子である夫とともに反乱を起こして殺されている。縣犬飼三千代も阿多隼人
阿多隼人は古くから皇族と縁組しており、以前の支配者で、妃をだす古族であったことがうかがえる。
尾張の酒見神社は大日孁貴神おおひるめのむちの側近豊姫の実家の近く
「真澄探當證」によると大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ・大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)は尾張地方に遠征し、火明命は当時の天照大神であった大日孁貴神 に臣従することになりました。
大日孁貴は火明命の孫娘の豊姫を気に入り、側近とします。
大日孁貴のあとを豊姫がつぎます。
「真澄探當證」が史実を伝えるものであれば、大日孁貴と豊姫が廣田神社の女神として、同神として祀られているのかもしれません。
これも長くなりそうなので、また別の記事で
向匱男 聞襲大歴 で「むか(日)つお」「きこえぞたらし」
向匱男 聞襲大歴 で「むか(日)つお」「きこえぞたらし」
日を迎える、あるいは百足・百手で銅の象徴の「ムカデ」の男、或いは隼人の沢山の人で漕ぐ船でしょうか?
太陽の船という意味もあるかもしれません。
聞襲(重)は「きこえ」で「聞得」=大君
聞襲(重)は「きこえ・聞得」で、聞得大君ともいいますから、大王というか大君という意味ではないでしょうか?
「きこえ」を「聞得」だとすると、「聞得」は大君の美称辞ですが、ここでは「神託」ともとれます。
「神託を聞く大君である支配者(垂らし)」という意味にもとれます。
男聞襲大歴 男聞「おも」、襲「そ」、「大歴」「おおいし」ととると安曇磯良
➁男聞襲大歴 男聞「おも」、襲「そ」、「大歴」で現代語でも「おおいし」ですので「覆ひし」
歴は「レキ」で、音も意味も「つぶて」の「礫」で、 大歴・大礰・大巌で「おおいし」と読みます。
田力で男、「男」は田(手)力男を暗示しているのでしょうか?
聞 ひろ、もん、ぶん、めん
「襲」は服を人にまとわせることをあらわします。しゅう、おそう、つぐ、かさね
覆面の安曇磯良「をもぞおほひし」
「面ぞ覆いし」ととった場合、安曇磯良が貝殻のついた醜い顔を白布で隠していることではないでしょうか。
覆面のあとへいそらの図
磯良(阿度部(あどべ)の磯良)の細男(せいのお、ほそお、ほそおのこ)の舞では磯良は白布で顔を隠して舞う。
大分県中津市の古要神社には、操り人形による細男の舞があり、同様に白布で顔を隠した磯良の人形が使われる
民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。ウィキより
https://www.youtube.com/watch?v=WtCwKNEnb2Q
2010年 春日大社 若宮おん祭より「細男(せいのお)」部分
➁ 面ぞ大歴(おおいし)と ④速狭騰 で、「顔を覆い隠して」「(狭い)川を天(高天原)に遡る神」となります。
仲哀天皇は神宮皇后に対して、死んで高天原に昇るという意味ととって、「速狭騰とは良くないことを言う女人だ」と言っていると思います。
でも死なないでも、高い場所(高天原・山の方)に昇るという意味ではないかとだと捉えました。
③五御魂 いつのみたま・厳御魂
厳御魂というと、霊威のある御魂や物忌みして斎祭る御魂と普通は考えます。
五御魂・厳御魂というと、天孫降臨の天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五伴緒(いつとものお)を思い浮かべます。
「5」は東西南北に中央を加えた数字でもあり、諏訪の御柱や「いつへ」の波比伎神の五本と一致します。
賽の神は男女ペアで一組です。
また、五十=磯であり、海洋民族と関係があるのではないでしょうか?
いつを伊豆と捉えると「伊豆」に関係がある御魂
「伊都」で伊都と関係がある御魂
「斎」は神道で、ものいみ(潔斎)をして神に仕えること。
いつく御魂、「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」
「いつ」については、別の記事で改めて書きます。
④速狭騰尊
速狭騰は「速さ昇り」か
狭は両側を囲まれて狭くなっている所、なので川、
流れの速い川を遡る意か?
(高天原に向かって)川を遡る貴い大神(尊) (天手力男ならば東殿なので太陽が昇る意もあるだろうか)
④「速狭騰(はやさのぼり)」は、狭い場所(川)を素早く人や動物が高い所へ移動するととりました。
川を船で遡るという意味にとりました。
住吉明神だとすると、やはり航海に関係があると思います。
或いは太陽を載せて昇る船でしょうか?
対になる④天疎 を「あふる・あもる・天降る・あおる」ととったからです。
それは「天(高天原・高い所)から天下った」ほうが「昇る」と反意語で対になるからです。
⑤尊
尊は命より貴いので、皇祖神か大御神でしょうか
向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊はまとめると
日向の津(船着場・港、銅の港)にいる(または向日の)息長垂し(海に潜るからか?)い海神で、顔を布で覆い隠した尊く霊威ある海の神で、祓戸大神(国という門を開けた)で、(高天原に向かって)川を遡る(船の)貴い大神(尊)
となります。あるいは
太陽神を先導する星神(古い太陽神?)であり、聞得である大君、天の下垂らしめす星神、東から太陽の船で天駆け上る尊い大神
住吉明神は手力男であり、伊勢の内宮に祀られています。
手力男も「天降る神」で、戸隠も天香久山の一つ(「戸隠神社鎮座考」参照)であるので、祓戸大神(国という門を開けた、別名あけたつの命)なので、住吉大社=手力男なら、顔を隠さないといけない裏事情があるのかもしれません。
天孫降臨に先立って天下った天津神なら、歴史の「表」(顔も面「おもて」)には出せないですね。
そして「密事あり」とあって住吉明神と誰か女性と隠さなければならない事があったか、住吉明神の氏族の海神族の首長と神宮皇后の間に隠さなければならないことがあったか、だと思います。
手力男ことあけたつの命は「開けた津の命」で港を開いた、港湾の神ともとれます。
天津神で、表の歴史に出せない神は、天津甕星でしょうか?
いそらのお墓は海の中で、三角の三つ鳥居の中に石があって、「をもぞおおいし」の大石・岩と関係があるかもしれません。
「戸隠神社鎮座考」では「背男は塞男なるべし」と書いています。港の門を守る賽(要塞)の神
船を留める停泊地の神、塞・境の神かもしれません
背男・賽男の天津甕星は筒男の住吉大神か?
細男「せいのお」は背男・賽男 かもしれません。
だとすると、かか背男の天津甕星は筒男の住吉大神であり、手力男ということになります。
撞賢木と聞襲大歴
撞賢木は「木に憑くor忌杖を撞く」
「撞賢木」は貴い木にいつく、または「鐘を撞く」の撞く(棒状のもので強く押す)と取って「賢木」で撞くともとれます。
棒状のもので強く押すですと、神宮皇后か丹生都姫が「忌杖を撞く」イメージと重なります。
「賢木」を榊ととると、神域に植える常緑樹の総称。また,神事に用いる木に憑く、ですので、高木の神や波比伎神です。
でもわざわざ「撞」を使っているので、そうすると新羅で忌杖をついて領土を定めた神宮皇后や忌杖をついて領地を定めた丹生都姫が浮かびます。
境界を守る神波比伎神らしいのでどちらにも当てはまるのが、丹生都姫です。
国見する朱の女神 丹生都姫 天津甕姫 波比伎神(アラハバキ?) 参照
四柱で境界を守り、内宮の中央の心の御柱を守っているのではないでしょうか?
アラハバキや賽の神も範疇に入ります。
撞賢木は「忌杖撞く」、聞襲大歴「聞こえぞ垂る」
「伊勢神宮の最も重要な神事は正殿床下にあると云う心の御柱への大物忌と云う斎女が真夜中に奉仕する一種の聖婚の儀式だと云う」
天照大神は「心の御柱」のことでしょうか?
天照大神が「心の御柱」だとすると、撞賢木は「忌杖撞く」丹生都姫であり、神宮皇后の投影でもあります。
境界を守るための木(蛇)神の波比伎神だとすると、撞賢木 は忌杖を撞き、国境を定めた忌杖を撞く女神です。
同じく境界の神の賽男・港という天(海)と地の境界にある住吉明神は手力男とされます。
どちらも境界を守る神とされました。
手力男は「戸隠神社鎮座考」でも「塞男」とされ「境界を守る神」とされています。
「忌杖撞く」や「聞得」は大君のこと
そして忌杖撞くのは、支配者であり、「聞得」さまは大君のことです。
向津姫も女王であり、くくり姫は新たな太陽神を誕生させる七夕つ姫であり、
天津甕星こと手力男は日垂る「聞得」さまの大君であり、太陽神を先導する、あるいは太陽の船の船頭とみなされていたようです。
草香江の日下 日足紋です

日足る日足る誠をば
「いつ」など、まだ続きます