とあるブロガーさんで、いつも欲しい欲しいという人がいました。
どれだけあっても、足りない足りないといつも書いてました。
飢えていると吸引力が増して、それでお金なども引き寄せてくる、という理屈だそうです。
お腹が満ち足りても、足りない足りないと
世界中の富が欲しいと書いてました。
施餓鬼供養
母の実家が寺で、「施餓鬼」をしてました。
餓鬼は食べもが食べられないから、食べられるように食べものをお供えしてあげる日なのだそうです。
餓鬼はいつも食べたいのに食べようとすると、食べ物が燃えてしまって食べられない
だからいつも餓鬼はお腹を空かせて、食べたい食べたいと言い、食べたいと思っている。
「施餓鬼供養」のこの日だけは、餓鬼も物が食べられる。
なので食べ物をお供えすると聞きました。
仏教説話では、極楽のお箸は長い。
長いので食べにくい。
食べにくいので、お互いに食べさせあっている。
他を利することが、自分も幸せに満ち足りさせることでもあるのだ、というような内容でした。
自らが餓鬼となって、吸引力を強めたほうがお金や運が入ってくるのだろうか?
餓鬼はいつも飢えているけど、自分を満ち足りさせてくれた人には恩返しをしてくれたりする。
足りない足りないという声を響かせていると、本当に餓鬼の状態になってしまいそうで
実際はそのブロガーさんは裕福なお家のお嬢さんで、旦那さまも裕福なお家の方だったのだけど
今どうやって生活しているのだろう?
お家も建てられたようなので、お金はあるのかしらん??
でもお金もなくてバイトしないといけないと書いてあったり
満足すると満足する現実がやって来るのか?
ある人は満足する、感謝する、と本当に現実が満ち足りると言う
スピの分野で有名になり、講演会なども開催し、そのほか本業に副業とお忙しそうだ
ただその人のこと、ある一点で信用するのはどうもと思ってしまって
その人の著作にも書いてあったけど、
その人は本業は科学者だから、311の原発事故の時、東京にいては危険だということを知っていて
すぐさま家族を西日本に避難させ
東京にいるのは危険だということを知らせることなく
他の人に放射能汚染のことを知らせず、自分と家族だけ逃げてしまったということで
これでは沖縄に逃げてしまった某政治家と同じではないか
科学者が真っ先にしなければならないこと
他の人に危険や真実を知らせず、
自分と家族のみを守るのみだったという行動
そのスピで有名になった科学者が311でとった行動が引っかかり
真実や危険を知らせるべき時に
知っていたのに真実や危険を知らせるという科学者としての使命を果たすことがなかったという一点で
私はその伯家神道の秘伝を授かったというその人のことが信用できないでいる
なので、その数学者が説く「満足する」ということに対して
シミのように疑いが広がっていくのを止められないのだ。
極楽浄土の長い箸の話
それからすると、スピで有名になった数学者は
311という地獄で、利他ということをせずに逃げてしまったのは
宇宙船の指令官のアシュタールだかなんだかしらないが
ギザのピラミッドでハトホルの秘法をしたかどうだか知らないが
本当に宇宙船の司令官なら他の人の救助ということをするだろう
津波の中、アナウンスを続けて自らも津波で亡くなった女性や
消防団員の方で、避難のお知らせをしていて津波で亡くなったかたと比較すると
どちらが極楽浄土の「利他」を実践しているかというと
アシュタールの数学者は極楽浄土の住人ではないと思えます。
なので、「満足する」という態度が正しいのかどうか疑問が湧いて仕方ないのです。
しじゅう足りない足りないというのも生きながら餓鬼道に堕ちているということであり
それもまた、地獄ではないけど餓鬼界の住人となってしまうことであり
生きているのが大変そうだなあと感じてしまいます。
こんな事はぐだぐだ考えてないで、満足したいときに満ち足りた気持ちで
お腹すいたらお腹空いたと感じ、満腹したら満足するのを楽しんだほうがいいのでしょう。
こんな事ぐだぐだ考えているのにお付き合いいただいて、申し訳ありませんでした。