とあるスピプログで崇められれば崇められるほど気を剥がれるということを書いてあった。
崇められる存在から崇める存在へと本質の力が移っていくと書いていたけど
ではそのブロガーさんはどうなのだろう?
カリスマ預言者としてスピの人達に崇められているのだけど???
それもそのブロガーさんを崇めさせるためのトラップのような気がするのだけど、個人の自由なので、崇めたい人は崇めてエネルギーをそのブロガーさんに注いだらいいと思います。
崇められれば崇められるほど力が増していく
神道などでは崇められれば崇められるほど力が増していき、氏族長などは死後、氏神さまとして神になります。
なので、敬愛され崇められるということが地域の氏神さまの力を増していくということになります。
崇徳上皇など
もし生前力を持ってなくても、高貴な人が非業の死を遂げたのだから、当然怨霊となるに違いないという民衆の「思い込み」が死後の崇徳上皇に力を与え、スタンドのように怨霊として働ける力をもたらしたのかもしれません。
日本で一番崇められている存在の天皇家
日本で一番崇められている存在、天皇家はどうなんでしょうか?
本当に気を剥がれているのでしょうか?
両陛下は髪は白髪ですが、お顔は若々しいです。
崇められ、力を集めておられるからこそ、天皇陛下にお言葉などをいただくと
感激したり、力をいただいた気がすると思います。
スピブロガーさんの言うように、崇められると力を剥がれるというならば、天皇家自体が既に存続していないはずです。
でもモンゴル力士の暴行事件や相撲協会絡みで、元皇族の池坊何がしの発言が、強烈に民衆の反感を買い、元皇族というだけで、自らの品位や不倫などを顧みることなく、あの言動が許されるなら、皇族という存在は「崇められる存在」という機能を発揮しないのだから、民衆から崇められることで貰っていた力をもらえなくなって、皇族という存在がこれから先、どんどんと存在できなくなっていくのかもしれません。
そうならないようにしていただきたいものです。
自霊拝
自霊拝というものがあります
自分自身の神性を拝むことで自分の魂を光り輝かせることです。
やはりそれも自らを「崇め拝む」ことで、自分の御魂を輝かせ力を増していこうという方法です。
これもまた自らを「崇める」ことで、自分自身に力が集まっていくと言われています。
天皇もこれをなさっているそうです。
なので、崇めれば崇めるほど、崇められる人は力を取られるということはないような気がいたします。
崇めれば崇めるほど、崇められる人は力を取られると書いているスピブロガーさんはもしかしたら、そのブロガーさんの反勢力に対して、自らに力を集めるために、カマかけたのではないでしょうか?