八幡神はアンドロメダ星雲
『儺の国の星拾遺』で八幡はアンドロメダ星雲や星占のことだと書かれています。
八幡はアンドロメダ星雲のたなびく星の裳裾のことだそうです。
詳しくは『儺の国の星拾遺』をお読みになってみてください。
今、別のブログで書いてるのですが、
手力男の娘の丹生都姫に神宮皇后が被さったらしいのが、吉野の神社に散見し、
息子の応神天皇がなぜ八幡と呼ばれたのかもわかりました。
日蝕のアンドロメダ星雲高木神と八幡の応神天皇
波宝神社のご祭神は天体 日蝕の太陽と太歳の星アンドロメダとオリオン三ツ星
高木神もアンドロメダ星雲のことで、
神宮皇后の息子の応神天皇は、神宮皇后のときに日蝕になり、アンドロメダ星雲が日中暗い中輝いていたため、
応神天皇は八幡と呼ばれるようになったようです。
アンドロメダ星雲はまだ空にありますので、アンドロメダ星雲=八幡神が人間に転生するとかはあり得ないと思います。
ただ、アンドロメダ星雲のパワーを受けた人、八幡神の申し子
というのはいるのかもしれません。
神が天の星星であったのを、記紀によって天から人に落としたと菅原道真公は嘆いたそうです。
天津甕星のことを調べていたら、やはり記紀は天体ことを地上の人々の話としたのかもしれないと思いました。
後世、星占やアンドロメダ星雲を祭祀する人が八幡と呼ばれるようになったのではないでしょうか?
国栖は縄文時代から日本にいた胡人
国栖は縄文時代から日本にいた胡人で、手力男の娘の丹生都姫は国栖の祖とされています。
その後に安曇族が入って、それで住吉三神が天岩門別の手力男に被さったのではないかと妄想しております。
世界中の人が日本にきていたのだなあと古語の来歴から説明されて、感心しきりです。
ひめこそ・姫社も「姫子星」のp78から説明されていて、やはり古代人は星を神々として祀っていたのだなあと、読むほどにロマンに浸ってます。
藤原氏が本当の神々であった星信仰を禁じるわけですね。
私はまだ『儺の国の星』を理解できないので、うまく説明もできません。
かなり私は参考になりました。
ご興味のある方はぜひお読みください。
入手方法を書いておきました。