ななです。お正月に帰省したときに、初めて地元の一宮市立博物館に行ってきました。
これは真清田神社の桃花祭の猿田彦の人形です。


そこに思いがけず真清田神社の三つ鳥居が描かれている大きな絵がありましたので、写真を撮って来ました。
申請すれば写真をとらせてもらえます。

真清田神社の三宮明神の三つ鳥居です。(頑張って背伸びして撮ったのですが、絵が大きくてこうなってしまいました)
こちらの記事を読まれてない方は先にこちらをご覧下さい。
「真清田宮縁起」によると崇神天皇の時代に国常立を祭神として建立したそうです。
写真を拡大して読んでください。鎌倉時代も祭神は国常立となっています。
参照
この絵は高い位置に三つ鳥居があって、見えるは見えますが、クリック拡大してもみえにくいです。
下の階にジオラマ模型がありましたので、写真を撮って来ました。絵では真ん中の一番上にあたります。
下の写真の下の切れてるところに真清田神社の本殿があります。
これよく見ますと、鳥居は北側から入って拝む作りになってます。
真清田神社は南向きに建っていますので、南に向かって拝礼することになります。
北から南の社殿を拝むのは出雲系が多いです。
元伊勢最東端の酒見神社も南向きに拝みます。
酒見神社 夕日のたださす今伊勢の元伊勢(愛知県一宮市) 参照
三宮明神についてはこちらをご覧下さい。
真澄探當證によると、仁賢天皇(億計王)と顕宗天皇(弘計王)は雄略天皇の暗殺から逃れるために、丹波を経て、伯父の葦田宿祢(武内宿祢の孫)が神主をしている真清田神社(当時は黒田神社)のある尾張一宮に逃げてきました。

「真澄探當證」によると仁賢天皇が顕宗天皇(弘計王)崩御の後に、尾張一宮の大神神社に大国主命として顕宗天皇を合祀した、とあります。
ちなみに大神神社がある場所は顕宗天皇(弘計王)が尾張で農民として住んでいた場所の近くです。
家臣たちは、天皇(まだこの時代は天皇ではないですが)を大国主として祀るなんて、と笑い転げましたが、
兄の仁賢天皇(億計王)が
「昔は、この国の王を大国主と言いました。それ故、天皇を大国主と言ってもちっともおかしくありません。」
と説明したので、家臣一同納得したのだとか。
こちらは「真澄田宮縁起」 クリックで拡大します。
「真澄探當證」によると、大神神社に大国主として顕宗天皇が合祀されており、三宮明神は・・・
もうちょっと待ってね
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