櫛真智命が何なのか、その前に「こととまち」である大祓祝詞のことをまとめておこうと思います。
天智天皇の近江朝の賽の神として佐久奈度神社があります。
佐久奈度神社の祓い戸四神が、大祓祝詞の祓い戸四神です。
大祓祝詞の成立は天智・天武朝以降だそうです。
大祓祝詞の祓い戸四神の息吹戸主は伊吹山の「伊吹おろし」に吹かれてたので、大祓祝詞に入れたのではと思いました。
濃尾平野は「伊吹おろし」が吹きすさびますが、滋賀もそのようですね。
伊吹山は強烈な風「いぶきおろし」を吹かせるので、伊吹度主は強烈な風神 「いぶきおろし」を利用して野たたらが行われてました(南宮大社)
伊吹おろしは近江朝のあった滋賀県にも吹いています。
当然、佐久奈度神社にも
伊吹おろしのから大祓祝詞の「伊吹度主」を造り、当時の人は伊吹山の主が「風神」だと思っていた
大祓祝詞の成立については賀茂真淵は天智・天武朝説を唱え、本居宣長は文武天皇朝説を唱えているそうです。 いずれにしても天智・天武朝以降に大祓祝詞が作られたと思われます。 天智天皇の近江朝で「いぶきおろし」に吹かれていたから、「伊吹度主」を大祓祝詞に入れたのでは?
高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣 と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐 す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根 底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失 ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百 萬神等共に 聞こし食せと白す
佐久奈度神社
佐久奈度神社
御祭神 瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命
合祀 大山咋神
「裂けた谷」(佐久那太理=桜谷)の地に祀られた祓いの神だそうです。
ご神紋 心桜十六菊
ちなみに佐久奈度神社と靖國神社はほぼ同じご神紋です。
靖国神社は「十六八重菊と桜」の神紋
琵琶湖湖畔は桜の並木が続き綺麗です。
でも、花の桜の意味だけでなく、「さ」は鉄で、「くら」は蔵だとすると、武器庫という意味にもとれます。考え過ぎでしょうか。
ご神紋が似てているところでは、愛知県三河の砥神神社のご神紋は公にはなっていないのですけど、「十五菊と梅」です。
砥神神社
社伝に、天平十四年(七四二)橘諸兄の創建という。又、延喜二年(九〇二)十一月創立ともいう。時に鹿十疋馳上るをみて十鹿見山と称した。もと砥神山頂に鎮座し「三河国内神名帳」正三位砥神大明神という。元和年中(一六一五‐二三)この社地の住人金子孫市、近江の多賀大明神を勧請し今の社地に鎮座した。 祭神:迦具土命・大山祇命・素戔嗚命
大祓祝詞の佐久那太理
佐久那太理(さくなだり) に落ちたぎつ速川(はやかは) の瀬に坐(ま) す瀬織津比売(せおりつひめ) と云ふ神 ・・・
こちらの佐久奈度神社のサイトhttp://sakunado.jp/ のビデオを見ていただくと、こちらの瀬田川の地名などが大祓い祝詞にテンコ盛りに入っていることがわかります。
琵琶湖から流れ出ている川は、瀬田川しかないので、祓ったものは瀬田川に流すしかないみたいですね。
「中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。」
祭神
瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命
合祀 大山咋神
境内社 八幡社(比売大神、応神天皇、神功皇后)と稲荷社(倉稲大神)
焼鎌社(天御柱大神)と敏鎌社(国御柱大神) 境内下に橋守社
佐久奈度の瀬織津姫
佐久那太理(さくなだり) に落ちたぎつ速川(はやかは) の瀬に坐(ま) す瀬織津比売(せおりつひめ) と云ふ神 ・・・
佐久那太理[さくなだり]にとは、削[けず]り取[と]るように・雪崩[なだ]ように激[はげ]しく。
落多支都[おちたぎつ]とは、高[たか]い所[ところ]から水[みず]が落[お]ちて、 激[はげ]しくわきかえる。
速川[はやかわ]の瀬[せ]とは、水流[すいりゅう]の急[きゅう]なところ。
「太理」は ひとふたみよ・・・ここの「たり」とも言うので、「たり」は「十」で、
十=と=度=戸
「度」は「十」という意味もあるか?
十は戸なので「さくな戸」=佐久奈度=佐久那太理
度(と)を太理(たり)と読ませることで「さくなど」
佐久那太理=佐久那戸
佐久那戸は「さく」の戸
「さく」は、裂ける。切れて分かれる。
「戸」は瀬戸。海峡。両岸が迫って、水の流れの出入り口となる所
瀬田川が折れている戸(入口)の瀬織(折)津姫
瀬田川が湾曲して激しく流れる「裂けた谷」(佐久那太理=桜谷)の地に祀られた祓いの神
ということで、瀬が折れ曲がっているところなので、瀬折(織)津姫なんでしょう。
こちらの佐久奈度神社のサイトhttp://sakunado.jp/ のビデオを見ていただくとよくわかります。
佐久那太理(さくなだり) の佐久那戸、ちょうどそこに佐久奈度神社はあります。
この佐久奈度神社を建立し、その祓い瀬田の川の折れた所の戸(出入口)の女神として祝詞に入れたのが、瀬織津姫でしょう。
川が折れる=アイヌ語のショウリ(ツ)姫(瀬折=瀧姫)
川が折れる=アイヌ語のショウリツ姫(瀧姫)でもあってます。
瀬田川が折れて、流れが速い所の女神なのですから。
やはり瀬織津姫(瀧姫)は近江朝以降に中臣の大祓祝詞に読み込まれてでてきたのでしょう。
丹生都姫が境界を守る神波比伎神(蛇神キ女神、アラハバキ)とされていましたが、律令国家の農業の水が重視されたために、水の女神として瀬織津姫など祓い戸四神が境界を守る神とされたのでしょう。
比売大神は丹生都姫
佐久奈度神社でも、瀬織津姫と比売大神は別の神として祀られています。
境内社 八幡社の応神天皇、神功皇后と縁が深いのは丹生都姫でしょう。
ですので、比売大神は丹生都姫でしょう。
祓い戸四神は境界を守る神、四隅におく波比伎神(蛇神)からきているのでしょう。
諏訪大社の御柱も信濃の小野神社の御鉾さまも四隅と中心の柱(木)です。
信濃の小野神社の御鉾様というのは、ハヒキの神+阿須波神と思われます。
ハヒキの神(鉾・蛇・木=境界の神)であり、それを斎壺(土地・境界=あすわ神)に建てる四本の柱と中央の一本です。
波比伎神はアラハバキ、大地母神キ女神
ハヒキはハハキでアラハバキ女神で、語源はシュメール語に遡るそうです。
ハハ・キ 母・地(蛇の地母神)
カカ・チ 母・地(蛇の地母神)
シュメール語の地=キはバビロンでチに転じ、中国でもチ、日本でもチ(地)だそうです。謎の神 アラハバキ—騎馬遊牧民族と古代東北王朝 (ロッコウブックス) by 真治, 川崎【中古】 による
しいて祓い戸四神で蛇的な表現といえば、「速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ」の「加加呑み」でしょうか?
蛇のように丸呑みということでしょう。
境界の神といえば現在もクナトの神や、アラハバキ、道祖神であり、細長い棒や木などで境界を表します。
木は蛇の象徴ですから、御柱も蛇です。
今も神社の「尻久米縄」(注連縄)は蛇が二匹絡まっている象徴です。
シュメール語の蛇「シル」と蛇「グビ」を重層させたのが「シリクメナワ」だそうです。「謎の神アラハバキ」(川崎真治著)による
今も神事で竹を立てしめ縄でくくって、結界を貼ります。
塞ノ神 波比祇神と阿須波神はアラハバキ? 小野神社の御鉾様と鹿島の武甕槌
国見する朱の女神 丹生都姫 天津甕姫 波比伎神(アラハバキ?)
縄文後期から古墳時代にかけては大地母神といえば「キ女神」しかいなかったそうです。
瀬織津姫を縄文の女神にして、しかも単独で大地母神全てを表すのは無理があるとおもいます。
賽の神といえばクナト大神です。
「クナトの大神」は、
「日本書紀」では「岐神」
「古事記」では「衝立船戸神」
「出雲井神社」では 「久那戸(くなと)大神」と表記されています。
クナト大神やアラハバキは境界を守る神であることから道祖神とされ、道祖神は男女ペアの姿で表現されます。
佐久那戸・佐(すけ)クナト=クナト大神の后=アラハバキ
大山阿夫利神社 道祖神 https://prt2.tukiyononeko.net/ooyamaaburi1.html
阿夫利神社の「アブ」も父、「リ」は太陽という意味だそうです。
今も韓国ではアパといいますが、これもオリエントから人が移動して言葉も伝わったということでしょう。
瀬織津姫がアラハバキや賽の神として、蝦夷討伐の最前線に祀られたのは「佐クナト大神」のアラハバキの境界を守護する性質が、丹生都姫・アラハバキから水の女神として瀬織津姫に受け継がれたから。
四柱で囲まなくてはいけないので、瀬織津姫だけが単独で大地母神とするスピの人の説には無理があります。
建水分神社も、中殿に天御中主神、左殿に天水分神・罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀ります。中央が天御中主神で、四隅の神が天水分神・罔象女神、国水分神・瀬織津姫神と四柱となっています。
やはり瀬織津姫単独ではありません。
縄文時代は「大地母神(アラハバ)キ女神」かショオリツ女神(瀧姫)でしょう。あるいは漢字を当てるようになって川折津姫が瀬織津姫になったのでしょう。
武蔵一宮の小野神社のアラハバキ・波比伎神(蛇神)・丹生都姫が瀬織津姫に置き換えられたのは、中臣の大祓祝詞が浸透し、四隅の祓い戸四神ということも忘れられた後世になってからかもしれません。櫛真智命や丹生都姫の名前を消したかったからかもしれません。
「こととまち」である大祓祝詞による「には」から「みずは」への変遷
当たり前のことだけど、瀬織津姫がどうしてアラハバキと同一視されるかということを書いて置いたほうがいいと思いました。
タカオカミ神社「雨師明神」、延喜式では丹生川上神社の元宮とするのは大和神社です。
丹生川上神社に祀られているのは瀬織津姫ではなく、元は丹生都姫でした。
丹生は古語では「には」と読みます。
「には」に漢字をあてると丹羽です。
「みずは」は「水生」でしょうか。
「には」から「みずは・水生」への変遷でしょうか
琵琶湖は弁財天の琵琶の形をしています。
水銀錬成のるつぼのつるの部分に、ちょうど佐久奈度神社があります。
練丹術ではなく、現実の錬金術で、朝廷が山の民も管理して、武器などの原料を作る「錬金術」を管理することになります。山の民は修験者として、「練丹術」も会得していましたが、民間呪術(厭魅蠱毒も)法律で禁止されていきました。
一方で、唐から不比等の兄定恵や空海らによって、最新の「呪術」である密教や仏典を輸入し、これは官営寺院で管理下に置きました。
水と鉱物の女神の丹生都姫から錬金術を取り去って、中臣の大祓祝詞で祓い戸四神を広めたのでしょう。
でも、大祓祝詞は瀬織津姫だけを特別扱いしているわけではなく、祓い戸四神の一柱としています。四柱でないと土地は囲めませんから。
瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命
合祀 大山咋神
佐久奈度神社では四柱が瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命、中央の柱が大山咋神
「佐クナト」は「スケクナト」とも読めます。クナト大神の佐(サ,すけ,すけ,たすく,よし)
クナトの神を補佐する四柱の神という意味にもとれます
四柱で中央の大山咋神を補佐している形なのでしょうか?
久那戸神 (くなどのかみ、岐神)江戸時代の文書では、主神を気吹戸主神とする説もある
「かくかか呑みては、気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主といふ神、根の国底の国に気吹き放ちてむ」とあり、
伊吹おろしに吹かれる瀬田川のほとりで、中臣の大祓祝詞は作られたのでしょう。