今まで別のブログで調べてきて、
・住吉さまのことを向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊という
・住吉さまは手力男らしい(紀伊國伊都郡の丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神、現在は相賀八幡神社)
・向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊とペアの姫神は撞賢木厳御魂天疎日向津比賣
・撞賢木厳御魂天疎日向津比賣は瀬織津姫ではなく、丹生都姫(稚日女命)
井光姫の大戸・おとさんと安曇磯良 向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
月読命は手力男だった 天駆日向津日継月読命は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
参照
本日のBGM 月読に思いを馳せて
こんな事がわかった。
天駆日向津日継月読命 アマカケルヒムカツヒツギツクヨミミコト
ここに来て、出典が不明なのですが、竹内文書では上古22代目のスメラミコトが
皇統第22代 天疎日向津比売天皇(天照皇大神) ということになっているが、本当は
皇統第22代 天駆日向津日継月読命 なのだという。(出典はタマヤ古文書・タマヤフルコトフミ??)
21代が伊弉諾尊になっている。
『出雲国風土記』の嶋根郡の条には、伊佐奈枳命の御子とされる「都久豆美命」がいる。
「つくつみ」
「千酌の驛家 郡家の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命の御子、都久豆美命、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂 ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。」 「ツクツミ」は、海神ワダツミや山神ヤマツミなどと同じように、月の神霊を意味するものと考えられている。
これが月読命のことだろうか?
「つくつみ」 は伊弉諾尊の子供だそうな
だとすると、
21代 イザナギ
22代 ツクツミ(月読??) という流れ
『日本書紀』に顕宗天皇の時代に、任那への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に「高皇産霊をわが祖と称する月神」から神託があり、山背国(山城国)葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉り、その祠を壱岐県主祖の押見宿禰が奉斎したという。
系図で祖が高皇産霊となっているのが犬飼・縣犬飼氏など
天御中主——–高皇産霊———–手力男——–犬飼・縣犬飼氏など
犬飼・縣犬飼氏などは手力男を祖神として祀っています。
『新撰姓氏録』氏族一覧2(第二帙/神別)でも神魂命は倭文連祖・懸犬養連祖とされています
「犬養縣ノ犬羪の二氏は倶に手力男命の子孫なれは神詫(託)によりて仕奉る事と成ねるをその由縁あり又この信濃国に犬養と称ヨふ地多くあるもその初この氏人の領けるより起れる称ナなるへし」 戸隠神社鎮座考
倭文氏と縣犬飼氏は天津甕星と関係している
もしかしたら「つくつみ」は「嗣津皇子」つまり、(日)嗣皇子のことではないか?
(日)嗣皇子 ひつぐ(ぎ)のみこ
日継月読命 ひつく=ツクツミ?
「神代系図」による手力男の系図
「神代系図」(著者: 平田篤胤)による(「神代系図」はGoogleから見れます)
天御中主—-高皇産霊尊と神産巣日神の子が—-角凝魂(天底立命とも)—-手力男
手力男こと天嗣杵命が月読命ではないか?
手力男は天嗣杵命ともいい、これをこのまま読むと天つぐつき命
「つくつみ」と「つぐつき」 同じだ
嗣杵命=嗣月命、つくつき
もしかしたら「嗣杵・つくつき」が「つくつみ→つくよみ・月読」になつたのでは?
つくつみというのは「嗣海・つくわたつみ」ということではないか?
古事記には、
次詔月讀命「汝命者、所知夜之食國矣。」事依也。訓食云袁須。次詔建速須佐之男命「汝命者、所知海原矣。」事依也。
そして、月読=スサノオなら、夜と海原を治めよということだ。
「つくつみ」嗣ぐわたつみで「嗣海神」
海(あめ)=天なので嗣海(天)
嗣夜=つくよ→つくよ命→月読命
紀州半島では手力男が「失敗作の鏡」と言われているけど、これは隠された「月読命」であり、「スサノオ」だからではないか?
何かあって、政権交代があったのだろう。
手力男が月読命とは、思ってもみなかった!!
スサノオと手力男のどちらも、強い、暴れると凶暴というイメージはありますね。
不比等が縣犬飼三千代を奥さんにしたのは、竹内文書の事を知っていて、縣犬飼氏という上古のスメラミコトの月夜命の系譜を手に入れたかったからか?
それで藤原氏はずっと縣犬飼氏と婚姻関係を結び続けたのか。。。。
竹内文書のことはどうか知りませんが、縣犬飼氏という古い古い土着の系譜を手に入れて、地霊に古い系譜と同化したと錯覚させていたのか
続けて再度、向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊についても詳しく見てみます。
井光姫の大戸・おとさんと安曇磯良 向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
月読命は手力男だった 天駆日向津日継月読命は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
参照