こんにちは ななです。
以前、翡翠の勾玉6☆八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)で丹波から出た、八尺瓊勾玉はどこからか奪ったものである可能性があることを書きました。
【出雲大社は熊野大社だった】
出雲大社の社伝では、創建は、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営
吉田大洋著「謎の出雲帝国」によると、「霊亀二年(716)に建てられ」それまでは出雲大社は熊野にあったそうです。
祭神の大国主は出雲人の祖神ではなく、ホヒ族(注)が殺した大国主の祟りを恐れ、封じ込めただけ、だそうです。
富氏によると、ホヒ族が出雲族と婚姻関係を結んだため、大国主命も自分達の先祖だといって、祀るようになったそうです。
大国主を殺しておいて、御先祖だから祀るというのは、やっていることが訳が分からないそうです。
【出雲の状況概略】
(1)スサノオ(饒速日・徐福?)の侵略
(2)ホヒ族の侵略 (ホヒ族は九州から船で攻めて来た天孫族。)
このあたり「謎の出雲帝国」による
出雲族は稲佐浜で破れ、王位を天孫族に譲り、コトシロヌシは入水自殺
大国主はウサギ峠のウサギ穴に閉じ込められ殺された
ミナカタトミノ命は越に後退し、後に信濃に第二出雲王朝を築く。
<追記>
富氏によると、正王 大国主 は徐福=饒速日の部下の「海童」に拉致監禁されて枯死させられ、大国主の捜索に出た
副王の少名彦も同様に拉致監禁され殺される。
饒速日から婚姻の申し出があり、受けた。(話の前後は不明)
その後、出雲族はホヒ族とうまく行くようになっていた。
(2)神武の侵略
その後、神武の侵略があり、勢力を回復していた出雲族は穴門(長門)に向かえ撃った。
ヤタガラスが神武についた。
王のトミナガスネ彦は、大和を神武に譲り、出雲に退き亡くなった。
(3)ヒボコ族の渡来と抗争
ヒボコ族は出雲に侵入しようとしたが出雲族に撃退される
神武朝末期、鉄を狙い吉備に侵入(吉備王国誕生)
ヒボコ族は同じ牛族のスサ族(饒速日・徐福の物部氏)と同化
再び、出雲を狙う
【出雲神宝騒動】
「崇神天皇60年7月には、天皇が「天穂日命の子で武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))が天から持って来た神宝が出雲の大社【当時は熊野大社】に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じたところ、飯入根(いいいりね)【ホヒ族】が、当時の当主で兄の出雲振根【ふるね・出雲族】に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)(wikiより抜粋)
【】内は私が加筆
実態は「熊野大社に安置していたクナト大神の神宝、勾玉を天孫族が奪った」(富氏)
「物部、ヒボコ族の軍勢が出雲に攻め込んだ。弓が浜に拠点を置き、高志人がハガネを採らせていた、出雲人を討伐し、神宝を天孫に献上した」(神魂神社の宮司で物部の直径、秋上氏)という伝承が残っているそうです。
【ヒボコ族が出雲に侵入】
吉備王国を築き、力を付けたヒボコ族は、天孫族(物部・神武系)と手を結び、物部を将として、吉備から侵略
クナト大社(熊野大社)に安置する宝石(勾玉)を奪って行った。
出雲族は祭祀を停止し、出雲族が各地で反乱を起こした。
困った天孫族は、祭祀を再開して欲しいと頼んだが、出雲族は拒否
ホヒ族が代行するも、国中が乱れた
当時の出雲族は、出雲から伊勢にかけてかなりの勢力を持っていた。
天孫族も内乱が起こり、天孫族は伊勢に攻め込んだ。
王のイセツ彦はミナカタトミノ命の信濃に逃れた。
天孫族は神魂神社に最前線基地を置き、出雲族の監視を始めた。
ホヒ族(出雲国造、千家・半島渡来人)は代が代わると、出雲の熊野大社に赴き、神火神水の儀式を受けることになっていたが、神宝事件以降、儀式は神魂神社で行われることになったそうです。
儀式を奪われた熊野大社と神魂神社は犬猿の間柄だそうです。
奪われた出雲神族の勾玉は、出雲大社の命主社から出たものでしょうか?
それとも、八尺瓊勾玉なのでしょうか?
命主社から出土した勾玉は、大石の下から発掘されたものです。
出雲大社の神紋、亀甲に花菱は出雲族の「亀甲に並び矛紋」とホヒ族の「花菱紋」の合わせです。
カミムスビの神……天コヤネ……天ノホヒ……出雲国造家――北島、千家
物部の直系の神魂神社の秋上氏
出雲大社の祭祀は出雲族、天孫族、ヒボコ族、ホヒ族のものが混じっており、複雑だそうです。